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クラスメソッドの創業期からいるワイがその13年間の軌跡を赤裸々に語っていく【採用/求人】

2017.07.07

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はじめに

はじめまして山本です。今日7月7日はクラスメソッドの設立記念日。そう、お誕生日的なやつです。バースデイケーキよりブログっしょ、ということで、クラスメソッドの13年間の足跡を、皆さんといっしょに追体験してみたいと思います。

高田馬場期

社長との出会い

社長の横田と出会ったのは、クラスメソッドが設立される以前になりますが「B2Bサービス作って一発当てやろうぜ!的なノリの、若さと情熱を持て余した連中が有志で集まっちゃったチームに、私がUIデザイナーとして「どうもこんにちは」したのが、彼との初めての出会いでした。新宿の小滝橋通りのジョナサンだったと思います。

入社の切っ掛けは「ロゴ作って」

しかし、そのプロジェクトは資金調達が思うように進まず、日の目を見ることなくチームは解散となってしまったわけですが、その後しばらくして、横田から「会社作った!デザイナーの知合い居ないから、山本さんロゴ作ってよ!」と元気よく連絡があったので、「三点だし修正込み二万でいいよ!横田さんお友達だし!」と元気よく答え、その商談は成立しました。ですが支払い時、横田さんのおサイフに「一万円しか入っていなかった」というあるまじき理由で、残りの一万円は未払いのまま、気がついたら入社までしていました。

始まりは高田馬場のボロい雑居ビルの一室

私が入社した時のクラスメソッドは、横田、中村、山本の三名で、高田馬場のボロい雑居ビルの一室にありました。床は一見フローリングに見えましたが、歩くとペコペコとやたらと柔らかいので、勇気をだしてめくってみると、年季が入った畳たちが姿を表しました。当然デスクなどもないので、押し入れの上段を作業用デスクに、下段は社長の寝床という斬新でまったく無駄のない環境で仕事をしていました。デスク買ってよ、ドラえもーん。

月一人50万稼げなかったら即終了

当時は社長の自己資金のみで運転していましたが、私と中村には毎月ちゃんと給与を支払ってくれていました。そんな中ですので、油断すればすぐにキャッシュフローが回らくなってしまいます。月一人50万円の売上目標に、自分たちで仕事を探して、どんな小さな仕事でも取って、明日に繋げていました。エブリデイ崖っぷちですが、ただそんな毎日は楽しいです。

怪しげなマッサージ店の跡地にはじめての移転

仕事も徐々に増えはじめメンバーも5名くらいになった頃、同じ雑居ビルに店を構えていた怪しげなマッサージ店が一夜のうちに消えてなくなりました。これはチャンスとばかりに、手狭になってきたペコペコ床の部屋を引き払い、その跡地に拠点を引越しました。こういう時の社長の判断は早いです。その際に念願だったデスクやチェアも購入、小さいながらも「人が呼べるオフィス」という環境が整い、皆でカンパイしました。

Flexという技術と出会う

当時まだFlexという技術は、日本ではあまり知られていなかった頃、本当はFlashMediaServerの調査で訪れていた、MacromediaのカンファレンスでたまたまFlexを知り「なんか面白そうな技術あったよ」と社長に伝えたところ「これは絶対に来るッ!」という謎の直感で、当時のクラスメソッドには超高額であったFlexのライセンス一式を津熊さんという人(後のデータインテグレーション部の部長になる)から思い切って購入。メンバー全員でFlexを学び始めました。

大型常駐案件を頂いて二つ返事で全ベット

そんな中、社長と中村と知合いで、当時某SIerでバッリバリに仕事していた敏腕プロマネM氏の紹介で「基幹教務システムのリプレース案件をやってみないか?」というお話を頂きました。すると横田は少しカブせ気味にこう言います「やります」と。判断が早い。早すぎる。内容も聞いていないのに。そしてフロントエンドにFlexを提案、メンバー全員でプロジェクトに参画できることになりました。

常駐開発から受託開発への舵切り

そのプロジェクトは紆余曲折ありながらも、同じく常駐していた他の開発会社の方々と協力してリリースまでもう一歩という矢先「受託案件を受注した」という知らせが社長から入りました。今の現場を捨てるわけにはいかない、と大喧嘩したのを今でも覚えています。結局、私は殿として最後まで残ることを決め、他メンバーを徐々に引き上げつつ、何とかリリースを迎えることが出来ました。あの時に出会った皆さんその節は本当にお世話になりました。あのプロジェクトを頂けたことで、クラスメソッドはその礎を築くことが出来ましたし、また今でこそ思いますが、あの時の社長の舵切りがなければ、クラスメソッドはまた別の世界線にいたかもしれません。

Flex開発で国内ナンバーワンに俺たちはなる!

時は過ぎ、FlexUserGroupを立上げ、続々と優秀なエンジニアがクラスメソッドの門を叩いてくれました。ひとつひとつ着実に開発実績を積み、次第に一次請けの仕事が増え、案件も大型化してきました。イベントへの登壇も多くなりました。当時、掲げていた「Flex開発で国内ナンバーワンになる!」という目標が現実のものとなっていきます。

圧倒的成長は続く

その後も会社は右肩上がりで成長していきました。メンバーも5〜60名になりオフィスも大きな場所に移転。幾つかベンチャーキャピタルからも声が掛かりましたが全て断りました。社長もメンバーも俺たちの力でやっていく、という強い意思がそこにあったように思います。身の丈に余る案件もありましたが臆することなく果敢にチャレンジしていきました。大変ながらも楽しい日々ですね。

俺たちの夏を取り戻そうとした理由

クラスメソッドに10年勤務してるワイが魅力と思い出を語ってく【採用/求人】

この袴田さんの記事に「山本さんという人がラジカセを肩に担いで・・」というのがありましたが、当時はそんなこんなで会社全体がオラオラオラァってアホほど働いてるんですね。好きでやってるからいいんですけど。でも、気付いたら夏が過ぎ去っているんですよ。夏ですよ夏。バーベキューしたり、かき氷食べたり、花火やったり、海に行ってひと夏の・・なんていうのを完全にスルーしちゃってるんですね。みな若いのに。「これはいかんだろ」と思ってラジカセを持っていきました。昼間に事前下見してた公園は、夕方になると帰宅ルートらしく、通勤通学の方の冷たーい視線が痛かったですね。でも無事夏を取り戻せたと思います。

飯田橋期

なんかすごく綺麗なオフィスに移転

高田馬場期を終え、クラスメソッドは次のステージを目指します。飯田橋は、東京のどこに出るにもアクセスが良く、ビルもこれまでのオフィスとは比べ物にならないくらい綺麗で、創業当時のペコペコ床のあるボロい雑居ビルからは想像も出来ないくらいに立派な場所に移転しました。坪単価もドーン↑って感じでしたが。勢いがあると違います。

より大きなステージへ向うために

これまでクラスメソッドの人員構成の大部分はエンジニアとデザイナーでしたが、次のステージに進むために、営業、経理、法務など、これからの会社をガッチリを支える専門職のキャリア採用を進めました。オフィスの移転も含めて大きな投資を行ったことによって、会社として必要な機能や環境が一気に整っていきました。誰もがこれから先に訪れる大きな試練を予期するものはいなかったと思います。

Flex開発からの撤退とメンバーの離脱

栄枯盛衰、クラスメソッドのイケイケ時代にもついに暗雲が立ち込めます。スマートフォンが発表され、そのトップランナーであったAppleは「iPhoneにFlashは搭載することはない」と発表しました。社長はFlashベースであるFlexを使ったアプリケーション開発事業にこの先の発展は見込めないと判断し、Flex開発から撤退を宣言します。事実Flexを使った開発案件は減少し業績は悪化、会社の先行きを案じたメンバーの一部はクラスメソッドを離れて、それぞれの思いの中、新たな道を進んでいくことを決めました。

新たな事業を切り開くための再挑戦

これまで一緒に会社を作ってきたメンバーが日を追う毎に離れてゆくことは、私も社長にとっても身を切られるような思いでした。会社を信じてついてきて欲しい。社長はFlexに代わる新たな事業として、AWS、スマホアプリ開発、HTML5など今後主軸になるであろう技術への投資を決断し、大きく舵を切りました。

秋葉原期

窓際の古株

正直、私自身もこの時期に悶々とした気持ちを抱えていました。これまで私はクラスメソッドの中で、時にデザイナーとして、時に開発者として、時に営業として、時に経企として、時に人事として、時にプロマネとして、社長や中村、大勢のメンバー、パートナー、クラスメソッドを信じてくれる多くのお客様と共に、会社を作ってきたという自覚と自負がありました。もう自分に出来ることはないのではないかと半分は退職を考えていました。退職を考えていた私は、執務室で作業するのも辛くなり、佐久間町の休憩室で一人独自の空間を作って作業をしてました。本当にスレている時期だったと思います。いよいよ辞めようかなと、今のプリサー部長である大橋に「ちょっと後で話があるんだけど」と言った瞬間、察したのか「山本さん今日飲みに行くよ!」と言ってその日の夜に飲みにいきました。私の話を聞く前に「俺は山本さんとこれからも一緒に仕事がしたい」と言ってくれ、そうだ、クラスメソッドには仲間がいるじゃないか、俺は何やってんだって、改めて気が付かされました。大橋さんには今でも感謝しています。

スマホアプリ開発という新しいチャレンジ

スマホアプリ開発を行っていくために、当時開発部という1つの部署の中にモバイル開発を行うグループを作りました。今までとは異なる新しい技術だったので、みんなチャレンジしていくという気持ちの中、最初は8名程度集まり、iOS/Androidとデバイスや技術は変わりましたが、基本となるユーザーの体験や提供するプロダクトの価値というのは変わりません。技術習得などはチームメンバーで共有しながらやっていくことでスムーズに移行できたと思います。

プリサーという男子校

スマホアプリ開発のプロジェクトも増えてきたため、iPhoneアプリサービス事業部(通称プリサー)という形で部署を分けました。当時のメンバーは10名程度で、秋葉原佐久間町の4階のオフィスで開発を行っていました。当時の状況を一言で表すと「男子校」です。男10名が小さい開発ルームに集まってりゃそりゃ男子校にもなりますわ!クラスメソッドの勤怠システムで出勤すると通常は、「ポンッ」という音がなるだけなのですが、この音声ファイルを変えて、スーパーマリオの1upの音にしたり、誕生日のメンバーがいる日は、ドリカムの「HAPPY HAPPY BIRTHDAY」が流れたり(これが一度流れると長い。。。)仕事はしっかりやりながらも適度な遊びを入れてました。こういう細かい楽しさを大村さんという人がやってくれており、毎日楽しく過ごせました。大村さんは今でも岩本町オフィスに飲料や駄菓子などを儲け度外視で提供してくれている。クラスメソッドのお母さん的な存在です。

後発のスマホアプリ開発をどう盛り上げていくか

プリサーが本格的にスマホアプリ開発を始めたのは、iOS 7がリリースされる直前の時代で、正直、スマホアプリの開発会社としては後発です。では、目立っていくためにどうしていったかというと、iOS 7のブログを大量に公開するiOS 7特集やヤフーさんと対決形式の勉強会ヤフー vs クラスメソッド等を開催したりして、認知されるための活動をしてきました。その後もiOS 8特集iOS 9週連続勉強会などに繋がり、今年もiOS 10特集という形で200本のブログを公開しています。

複数事業の展開と国内外へと拠点拡大

AWS事業、モバイル事業、ビッグデータ分析基盤構築事業もそれぞれ拡大していき、特にAWS事業はここ数年で一気に拡大しています。社長が夜勤が嫌いなため、海外に拠点(バンクーバーとベルリン)を作って24時間365日での監視サービスを実現したり、国内も秋葉原以外にも札幌、大阪、上越と拠点が増えています。毎月素晴らしいメンバーが入社しており、当時3人だったあの頃、今のようなクラスメソッドになるとは夢にも思わなかったです。

まだ見ぬ未来へ向かって

今日までの13年間、本当に紆余曲折がありましたが、クラスメソッドでの時間は非常に濃く自分自身を成長させてくれたと思ってます。そしてこれからも時代の変化に対応しつづけて、様々な経験を得ることができる会社だと思います。一時期は会社を辞めようと思ったこともありましたが、それでも今このブログを書いているのは、その時々で出会った仲間たちと繋いできた過去、いま一緒にいる仲間たちとその先の未来を作ってくことが楽しいからです。そして社長、いや敢えて当時の呼び方で「横ちゃん」と言わせてもらいますが、横ちゃんとしゅーたと3人でスタートしたあの小さな会社が、ここから何処までいけるのかっていうのを自分の目でみたいと思ってます。横ちゃんこれからもよろしくっ!いつかロゴの一万円を返してもらいますよ!

最後に

この記事を読んでクラスメソッドいいなと思ってくれた方は、以下のページで希望職種のページからエントリーしてみてください。紹介した人の欄があるので私の名前「山本一郎(切り込まない方の隊長)」と書いていただければと思います。入社半年後にいいことがあるかもしれません。