コミュニティついて考えたので長いだけで結論を得ないポエムにしました
すみません。120%ポエムです。
「コミュニティ」と言われて何を連想しますか?
DevelopersIOの読者の方はIT系の勉強会コミュニティのようなものを連想するかもしれません。地域の集まりを連想する人もいるでしょう。最近は、コミュニティとマーケティングを関連付けて考えている人も多いように思います。
コミュニティと私の20年
私自身のことを考えると、20年ほど前(2005年)にクラスメソッドに入社して以来、何かしらのコミュニティに関わり続けていたと思います。最初はFlex User Group(通称:FxUG)だったし、アジャイル系のコミュニティに参加したり、仲間たちと一緒にビジネスモデルのコミュニティを立ち上げたこともありました。これらは比較的、仕事に近いテーマのコミュニティということになります。趣味や地域のものでいえばソフトボールのチームや、子どもの通う保育園のお父さんたちの集まりもありました。これらは何らかの経緯があって自分で参加することを決めたコミュニティです。一方で、たとえば家族や親戚といったコミュニティは本人の参加意識にかかわらず所属をすることになります。住んでいる地域の自治会といったものにどの程度の関わりを持つのかはその人次第ですが、これらも本人の意向とは別のところで関係が発生します。
マズローの欲求段階説からコミュニティを捉える
コミュニティとは何なのか?を理解するために、マズローの欲求段階説に照らしわせてみると、新たな気づきが得られるかもしれません。(※そう思って書き始めたのですが、そうでもなかったので時間のない方はここの段落は読み飛ばしてください。)
- 生理的欲求に基づくコミュニティ
- 安全の欲求に基づくコミュニティ
- 社会的欲求と愛の欲求
- 承認(尊重)の欲求
- 自己実現の欲求
家族というコミュニティは、子どもにとっては生理的欲求や安全の欲求として必要なものになりますが、親にとっては社会的欲求と愛の欲求になるのかもしれません。
IT勉強会に参加することも、社会的欲求として機能する場合があります。これは人が所属する組織(会社など)においてマイノリティであった場合に起こりやすいのかなと思います。たとえば、十数年前におけるアジャイルコミュニティが想像しやすいのですが、所属する組織はウォーターフォール型のプロジェクトを採用しているが自身はアジャイル型にするべきだと考えているが組織内に理解者が少ない。しかしアジャイル系のコミュニティにいけば理解者がいて、実践者からの経験談や知識を得ることができコミュニケーションがとれる、といった状態でしょうか。マイノリティの受け皿としてのコミュティとも言いかえられます。
もしくはIT系勉強会は、人によっては承認の欲求や自己実現の欲求になっているのかもしれません。コミュニティに貢献し勉強会などで登壇することによってプレゼンスを向上し、結果的にキャリアを次のステップに進めることができた人もいるわけです。
このように、コミュニティの存在意義は人によって異なるのです。
コミュニティのカタチ
コミュニティは、コミュニケーションの方法やツールによって分類することができます。オフラインイベントを中心に実施し、コミュニケーションが対面・口頭のものは強いコミュニティと見なすことができます。地域の集まり(お祭り)などはこの傾向があります。家族も対面・口頭のコミュニケーションが中心になります。こういった強い結びつきを必要とするコミュニティを、私は強いコミュニティと表現することがあります。
では、その逆の弱いコミュニティはどうでしょうか? 身近な例をあげるとブログであるDevelopersIOと読者の皆さんが該当すると思います。DevelopersIOは読者の方の情報を収集していませんが、読者と執筆者のかすかな繋がりのようなものを認知しています。読者の方はユーザー登録などは不要ですが、用事があれば読んでくださってますし、クラスメソッド社員と会ったときに「ブログ読んでるよ」と声をかけていただくこともあります。この、なんとなくブログを中心に集まるとも集まってないとも言えない、この状態が弱いコミュニティです。
この数年で増えたオンラインコミュニティもおもしろい傾向です。チャットなどのテキスト情報やテレカンツールなどを駆使し、同じ時間と場所を共有する必要がありません。強いコミュニティと弱いコミュニティを上手くかけ合わせていると思います。
コミュニティは常に存続に課題を抱える
様々なテーマでいろいろなカタチのコミュニティがたくさんつくられました。企業もコミュニティ活動に積極的になりはじめた一方で、コミュニティに対して期待するものが大きくなりすぎたのではないか?と思うことがあります。これは2つの理由が考えられます。
- 個人の理由:限られた可処分時間の都合上、優先度の高いテーマのコミュニティを選びたい
- 企業の理由:企業として関わる以上は集客だけではない何らかの見返りがないと存続ができない
可処分時間は、選択肢が多すぎる今だからこそ重要な問題になります。仕事が忙しければ仕事に時間を割かれますし、家族構成が変われば可処分時間に影響があります。経験を重ね、たとえばプレイヤーからマネージャーへといったようにロールが変化していくにつれて、個人の興味関心はおいといてマネージャーとしてのスキルアップが必要になります。時間経過によって必要な知識の優先度が変わり、結果的にコミュニティから遠のくといったことはよくある話です。
仕事に関わることは優先度を上げることに繋がり、コミュニティの必要性も上がることになるわけですが、これはビジネス的な成果を求められやすくもなるものです。手弁当で運営されていたコミュニティに対して組織が支援をするようになり、そこには当然、何らかのコストが掛かるわけですから、結果がどうだったのか?という説明も必要になります。
これらの要素はコミュニティをビジネスの一環であるととらえる方向に作用します。コミュニティとビジネスの関連を否定するつもりはありませんが、コミュニティというものは多様であり、ビジネス的なメリットが少ないものがあっても良いのではないか?手段を目的化しても良いのではないかと思っています。
コミュニティとビジネス
この記事はポエムなのであまり真に受けないでほしいのですが、2024年はコミュニティを通じてマーケティングを活性化させる、マーケティング活動の一つとしてコミュニティを捉える動きが一般化しつつある時期だったのではないかと思います。
一方で、企業の課題はセールスやマーケティングよりも、採用の切実度が上がり、コミュニティを通じたリクルーティングが今まで以上に盛んになっていくのだろうと予想しています。これは各企業において、こういった目的のもとに活動をする必要性があり、それを担当する人も必要になるということです(もちろんコストも必要になるということです)。
マーケティングとリクルーティングは同根
もし、マーケターやマーケティング活動にかかわっている方が読んでいたら考えてほしいのですが、マーケティング活動はセールスだけがゴールではないのではないか?ということです。なぜなら、コミュニティに参加する人が、ファンになり自社のサービスを購入するのか、自社への入社を希望するのかを決めるのは、参加をする人自身なのです。セールス寄りに誘導するメッセージを送ることはできますが、最終的な判断は参加をする人に委ねられます。
おわりに
コミュニティがビジネスを意識せざるを得なくなっている現状ではありますが、だからこそコミュニティのプリミティブな楽しさを大切にしてほしいと思いますし、一周か二周くらいまわってそういったものの重要性が見直されるのではないかと思います。これはコミュニティ活動において良い傾向になるはずです。
そして、ビジネスの現場で培った良い慣習(現実的な計画立案、予算管理、フレームワークの利用など)がコミュニティの現場に導入されていくこともポジティブな要素であると考えます。
ビジネス的な目的をおさえつつ、コミュニティのプリミティブな部分も両立させる、コミュニティ運営に対して求められるものも多くなったのではないかと自覚しつつ、同様の興味関心の元に人が集まりやいのやいのとコミュニケーションを行い、コミュニティでしか得られない栄養分を再評価することで、この活動を続けていけたら良いなと考えています。