東京2020オリンピックボランティアをしてきた話

自分のオリンピックボランティアに応募した経緯、ボランティア活動についての記事。

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2021 / コロナ禍の厳しい状況

日々厳しくなっていくコロナ禍で、オリンピックの開催賛否について世論が揺れているし、当社リモートワーク体制で自宅で仕事するのも比較的に安全です。こういう時期オリンピックボランティア活動を辞退するかどうか、正直悩んでいました。いろいろ考えて、親にも怒られたが、僕と同じように9万人のボランティアもいるからと思って、最終は、東京2020オリンピックのボランティア活動を参加することを決めました。

2016 /「Rio To Tokyo」セレモニー、Tokyo2020に対する高かった期待

2016年リオオリンピック閉会式で五輪旗の引き継ぎ式にあった東京ショー : Tokyo 2020 handover presentation

振り返り観ても、史上最高のパフォーマンスです。

2016年は一時ニュージーランドに居たので、日本に移住する直前リオ五輪閉会式の東京ショーを観て、全世界の方と同じく東京オリンピックに対する期待が高まりました。特にそれから日本に行く僕にとって、より特別な気持ちを持ったので、「2020年は東京にいるので、ボランティアをやるんだ!」という強い思いがありました。

2018 / 東京五輪ボランティアの応募

2018年9月27日のボランティア登録確認メールはまだ残っています。

記憶に残るボランティア応募の開始時は2018年9月26日の0時、応募フォームをすべて入力完了は朝1時ぐらいでした。

無事応募成功し、翌年前半で面接に行ったり、オリエンテーションに参加したり、オリンピック精神、大会についての知識、またはボランティア活動内容を教えていただきました。

2020 / 新型コロナウィルス悪夢の始まり

2020年に入ってから、新型コロナウィルスの感染は世界中急速拡大し、ロックダウンされる国や都市なども少なくありませんでした。その状況で東京オリンピックの開催は無理なので、延期されました。「来年夏コロナの状況が落ち着けられるのか?本当に開催できるのか?中止しないか?」といういろんな疑問、懸念がありました。

2021 / いよいよオリンピックの夏

日本ワクチン接種スピードが先進国の中には下位です。 コロナ禍は落ち着いていない。 緊急事態が何回も宣言されます。 世論調査は「オリンピック開催」に反対する方が多数。 上記の状況だけではなく、世界も、国も、社会も、オリンピック組織も混乱な状態になっています。

新型コロナのワクチン接種が予約できず、オリンピック本当に開催できるかも分からなくて、このままボランティアの活動は無理だと思いました。

5月までずっと「インフルエンザ予防接種が提供する」しか発信していなかったオリンピック組織は、6月突然「オリンピック関係者全員、新型コロナウィルスワクチン接種提供する」というメールが来ました。早速ワクチン接種を予約し、オリンピック開催する前に一回しか接種できないですが、何となく予防効果があると思うので、パラリンピックにも参加するし、最速ワクチンを接種すればいいと思いました。

ワクチンを接種しにいった際、タクシーで接種会場に行きました。運転士に「ワクチン接種はとっかで予約できましたか?」と聞かれて、「オリンピックボランティアですので」と返事して、「あぁ、お疲れ様でした」って返してくれて、認めてくれることが感じていて、今の時期でもボランティア活動の意義があると直感しました。

確かにまだたくさんの方、特にオリンピック最前線の東京都の方も接種できませんでしたね。神奈川県在住ですが、ワクチンについてボランティアの分は東京都が確保してくれたので、東京都と東京都民に感謝します。

本番 / オリンピック

活動地は江東区の、有明体操競技場の向こう側にある、有明アリーナ会場です。 写真を整理して気づいたのは、活動開始のチェックインは有明体操競技場後ろの入口で、有明アリーナ全体を見えるいい写真を撮れるところはないので、有明体操競技場の写真しか撮れませんでした。

 

チェックインした後はお水 x 1、ボディシート x 2、塩分補給タブ x 1、食券 x 1、消毒アルコール x 1を貰えます。

本職に繋がりがあるという理由かもしれませんですが、ボランティアの所属は有明アリーナ会場のテクノロジーチームです。

初日なので、会場のことがよくわからなくて、有明アリーナに行くはずだが、有明体操競技場に入ってしまって、その中にあるテクノロジーチームオフィスで20分程待ってしまいました。アリーナに所属と確認されて、模索しながら有明アリーナのテクノロジーチームオフィスに着きました。

有明アリーナ会場にはバレーボールの試合が行っていました。マネージャーは三人シフト、ボランティアは基本二人いるという体制でした。活動内容は電子設備の正常運転の確認とプリントされた試合情報の書類内容確認。基本は電子設備が問題なければ、一番理想な状態です。オフィスにはテレビ中継、無線機会社のスタッフもいるので、決まった活動内容以外も、なにがあったら臨機応変に対応します。

 

有明アリーナ会場内部の各区域はアクセス権限で分かれていて、ボランティアが進入不可な区域は多いので、最初はマネジャーに案内していただいたが、道を探すのが大変で、まるで迷路のようでした。

 

初日案内されたバレーボールコートの様子です。写真を撮った時点は最初の試合はまだ始まってなかった。

よく聞かれたのは、「ボランティアは試合観戦できますか?」。答えは、場合によります。例えば隣の有明体操競技場にはそういう席が設置されていないので、観戦できないですが、有明アリーナ会場にはボランティアの一時休憩用の席が用意されるので、僕の場合食事前後の休憩時間帯で観戦できます。オリンピックは無観客でこういうことを言ってしまって炎上するかもしれませんが、自分の立場だと、ボランティアを応募した時(2018年)、自分は外向的、複数の言語を話せるので、世界の方々が集まるオリンピック大会に貢献したい、役に立ちたいという気持ちでした。史上一番のオリンピック大会を迎えたかったが、コロナ禍で被る途方もない状況になって、賛否の声のなか無観客で開催されてしまったが、偶々こういう状況でボランティアが観戦できることご容赦いただきたいです。有明アリーナ会場のボランティア休憩席には間隔が用意されるので、密にはならなかったと思います。

ちなみに、PCR検査は四日間隔でやっていました。

初日は場内モニタリング中継のトラブルもあったので、マネジャーがいない時は、日本のスタッフと外国人スタッフのコミュニケーションに通訳が担当させていただきました。それ以外は基本の確認作業とボランティア専用パソコンでネット観戦をしました。

 

飲み物 x 1, 弁当 x 1, パンかおにぎりか x 1

会場内の食事のことです。ボランティアは一回シフト食券を一枚貰えます。会場によって給食が違うので、めっちゃいい給食がある会場もあるらしいですが、有明アリーナ会場の給食はちょっと物足りないと感じでます。毎日の給食は変わっていますが、自分のシフトには連続のカツレツ弁当もでたので、少し飽きた部分もあります。

 

ちなみにアイスは食べ放題ですけれど、基本は名もないアイスでした。珍しく「明治スーパーカップ」(ミニですが)が出た時は一瞬なくなるので、自分もそのスーパーカップを一回しか食べませんでした。

所属チームの作業内容が知りますが、コロナ禍で他のボランティアに話をかけるのが無理でした。だけど、気づいたところは、チェックインポイント、食堂の給食管理とゴミ処理、選手たちの案内、コートで点数をつけることやボールを揃うことなど、ボランティアの方々がいるこそ、オリンピック大会を行うことができました。

最後 / オリンピックについての感想

簡単でいうと、ボランティアの参加ができて良かったです。大会の組織や運営の一隅が見えて、そしてバレーボールが普通でした僕は、バレーボールが好きになりました。

オリンピックについていろいろ事情と噂もよくあって、特にコロナ禍でオリンピックを反対する方も少なくないと思います。ボランティアの経験が良かったと思いますが、オリンピックは自分にとってどいう大事な訳でもなくて、オリンピックを守る気持ちもありません。コロナ禍が落ち着いてないから、IOCやフランス側と合意して「東京2020」を2024年に延期した方がいいかもしれません。ただ、オリンピックを開催できなければ、今まで頑張ってたスポーツ選手の努力は無駄になり、この二年間コロナにやられた世界各地の方々の憂鬱が解消できなくなり、ずっと抑えられた人類の希望と情熱を託す場所がなくなります。

選手たちの輝きが、少しでも、コロナの影を落としたでしょう。

オリンピック期間は、世界の紛争地域も一時停戦され、一部の方はオリンピックのお陰で、この二週間安眠することができたでしょう。

追記 / あの開会式と閉会式

お酒が飲めないですけど、ジャズファンです。そして椎名林檎が好きです。

2016年当時、リオ五輪閉会式にあった東京ショーの音楽が入った瞬間、「椎名林檎だ!」とワクワクしていました。調べたら、椎名林檎は五輪の音楽監督ということで、凄く喜んでずっと期待していた。このブログを書いた時も、東京ショーの最後流れた椎名林檎の曲「望遠鏡の外の景色」をループして聴きました。

オリンピックが延期、そして組織の混乱、感染防止や経費削減などの原因で式典は簡素化され、椎名林檎を含めて元の演出企画チームも解散してしまいました。それは仕方なく、簡素化された式典はいいところもありますが、正直に言えば、元々期待した「この半世紀に生み出した宝物」と先日流出した「幻の案」に比べると、落差が大きかった。

どの複雑な感情があっても、時計の針は巻き戻せない。 コロナ禍がいつまで続くのか分からないですが、いつか元の生活を迎えたら、どんどん宝物を生み出しましょう。

最後の最後、健康と安全を守って、コロナが一日も早く収束するように頑張りましょう!