
AI使いがうまくなるより先に、鍛えるべき感覚の話
AIは「きれいな画面」を一瞬で作ってくれる
私は画面作成業務で、Claude Codeをよく利用しています。使い始めて最初に驚いたのは、指示を出すだけで、驚くほどきれいな画面が出てくることでした。自分で作ると「紙芝居」のようになるものでも、AIに作ってもらうと、整ったUIがモックアップとして一瞬で生成されます。
作業スピードは上がり、アウトプットの見栄えも良くなりました。「これは使える」と感じ、私はどんどん頼るようになりました。
でも、何かがおかしい
しばらく使い続けていると、2つの違和感が出てきました。
1つ目は 「アウトプットが整いすぎて立ち止まれない」 ということです。
手で作っているときは、作りながら「あれ、ここの情報設計おかしくないか」と自然に立ち止まる瞬間があります。でもAIが一気に作り上げてくれると、その立ち止まる余地がなくなります。見た目が整っているせいで、問題に気づきにくくなるのです。
2つ目は 「アウトプットへの違和感を言語化できない」 ということです。
あるとき、UI改善の作業中にAIへの指示がうまく出せず手が止まりました。「なんかここ、変なんだよな」という感覚はあるものの、何が変なのかをうまく言葉にできなくて、AIの依頼できなかったのです。
同時期に、こんな感覚も生まれていました。「楽してちょっと悪いな」という罪悪感です。手をかけた方がすごい、AIに頼るのは手抜きなのでは、そんな気持ちがどこかにあったのだと思います。
問題はAIではなく「自分のアウトプットを疑えるか」だった
2つの違和感を突き詰めると、同じ根っこにたどり着きました。それは 「なんか変かもしれない」と思えるかどうか 自体が、大きな分かれ目になっているということです。
疑える人と疑えない人の違いはどこにあるか
きれいな画面が出てくると、違和感なく受け入れてしまう人は多いはずです。疑う余地なく「良さそう」と感じてしまう。最近は、そんなアウトプットを見かける機会も増えました。ぱっと見はきれいだけど、よく見ると指が6本あるイラストや、ロゴが微妙にゆがんだバナー。「なんか変」と気づかれないまま使われているものが、SNSや社内資料にも増えてきた気がします。見た目が整っているせいで、問題に気づきにくくなるのです。そしてそれと同時に「楽してちょっと悪いな」という罪悪感も生まれました。手をかけた方がすごい、AIに頼るのは手抜きなのでは、という気持ちです。ではなぜ、疑える人と疑えない人がいるのでしょうか。

ここでデザイナーとして思い当たるのは、 デッサンの経験 です。デッサンは「上手く描けている」と過信しない訓練も描く理由に含まれていると思います。自分が形を正確に捉えられているかを常に疑い、目の前にあるものと自分の線を何度も見比べる行為です。完成したと思った瞬間に視点が固まってしまう。だから常に「まだ違うかもしれない」という目で見続けます。
これはデザイナーに限った話ではありません。スポーツで自分のフォームを動画で見返し、「なんか違う」と感じる経験。研究で自分の論文を読み返し、「この論理には穴がある」と突っ込める経験。そこにも共通するものがあると思います。分野は違っても、 自分のアウトプットを一度外に出し客観的に眺める訓練 を積んできた人は、AIのアウトプットも同じように疑えるのではないでしょうか。
逆に言えば「なんか変」と気づけない場合、それはAIの問題ではなく、自分の仕事への向き合い方の問題かもしれません。AIの登場によって、その差がよりくっきりと浮き上がってきたように感じています。
気づいた後に問われるのは「言語化できるか」
「なんか変」と気づいた後に重要になるのが、その感覚を言語化できるかどうかです。「余白が詰まっていて視線の流れが止まっている」「ラベルの粒度がバラバラで認知負荷が高い」と言葉にできるかどうかで、AIへの指示の精度は大きく変わります。感覚を持っているだけでは、AIには伝わりません。 AIへの指示の粗さは、そのまま自分の理解の粗さになって返ってくる のです。
「楽してちょっと悪いな」という罪悪感の正体も、ここで解けました。罪悪感を感じるのは「楽をしているとき」ではなく 「判断を手放しているとき」 です。AIに丸投げして、返ってきたものをそのまま使う。そこには自分の判断が入っていません。逆に、「AIが出してきたこの案は、なぜ良いのか、なぜ良くないのか」を自分の言葉で説明できるなら、それは手を動かしていなくても自分の仕事だと言えるのではないでしょうか。
自分が実際にやっていること
「自分のアウトプットを疑い続ける」と言われても、具体的に何をすればいいかわからない方もいると思います。私が実際にやっている、 「違和感を探す」「言語化する」「検証する」 ための3つの行動を紹介します。
違和感を探す:別の誰かの視点に立って見返す
プロトタイプ画面であれば、画面を眺めるだけでなく、実際に操作してみることが大切です。触ってみると「なんか引っかかる」という感覚が生まれやすくなります。文章生成であれば、何度も読み返してみる。画像であれば、隅にあるモチーフまで気を配り、「なぜここにあるのか」を考えてみる。自分が作ったものを別の誰かの視点に立って体験する時間を意識的に取ることが大切です。
言語化する:AIを壁打ち相手にする
「なんか変なんだけど、何が変かわからない」という曖昧な状態でAIに聞くことがあります。「この画面のどこが気になりますか?」と聞くと、自分では言葉にできなかった違和感が整理されて返ってくることがあります。AIを答えを出す道具としてではなく、自分の感覚を言語化する壁打ち相手として使います。
検証する:別エンジンのAIに分析させる
Claude で作ったものを Gemini に見せる、といったように、別のAIに分析させることがあります。同じものを違う視点から見ることで「あ、そこか」と気づく場合もあれば、「それは的外れ」と感じる場合もある。その反応自体が、自分の設計意図を確認する機会になっています。

さいごに
AIが賢くなればなるほど、問われるのは使い手側の「自分のアウトプットを疑い続ける姿勢」だと感じています。感覚を言葉にする、言葉を精度高く投げる、返ってきたものを批判的に検証する。この繰り返しこそが、AI時代のデザイン実践なのだと思います。そして結局は、それをどこまで詰め続けられるかに尽きるのではないでしょうか。










