入社から15年を振り返ってみる
ごあいさつ
こんにちは。くにきちです。
クラスメソッドが 20 周年! 社歴も 15 年 7 ヶ月と長くなってきたので、20 周年記念に乗じてこんなことあったなーと自分の振り返りブログを書いてみようと思います。 完全ポエムです。
クラスメソッド入社
入社は 2007 年 11 月 (4 期)で、 Flex をメインに受託開発を行なっていた頃です。 私は文系・美大卒、機械に疎くてかなりのアナログ人間でした。前職もまったく美術と関係ないアクセサリー卸売会社の営業アシスタント。 伝票は手書き。Excel を触る機会も少なかったですし、前職を退職する時点では SUM 関数くらいしか知らない状態でした。 今思えば、事務とはいえよくクラスメソッドに入れたなぁ。。と思います。
入社動機は、以下の 2 点でした(笑)
- 今後 PC 操作などできないのはやばい!(そういう業界に潜り込もう!)
- IT 業界は給料良さそう。(兄がエンジニアでそんなイメージがあった)
<余談> 入社当時、横田さんを「社長」と呼んでいました。どうやら社長呼びはイマイチらしいと聞いて、「横田さん」呼びにしましたが、最初はなかなか慣れずとても緊張していました。今では卓を囲んだり(麻雀)、会社で会うと「横田さーん!」と普通に話し掛けたりしています。
Excel に目覚める
入社してからは Excel を使う機会が極端に増えました。
4 期の頃は社員数も少なく(40 名くらい?)、いろんなことがシステム化されていない状態で、売上管理や勤務表、郵便授受記録や受付記録などほぼすべてのものを Excel で管理していました。勤務表は手動でチェック、メールやチャットで「この勤務ですが・・」と確認する日々。
そんなとき、当時の上司がピボットテーブルを使って営業状況を集計したり、関数や書式設定を駆使して自動計算や自動配色しているのを見て、「なにこれ、すごい!」と衝撃を受けました。私は面倒くさがり屋で、とにかく手打ちが面倒で仕方なかった。そもそも人間がやらなくてもできる仕事をやる必要なくない?という思いがあったので、Excel 最高!となりました。その後は、いかに少ない手数で管理シートを運用できるかを考え、実践しました。
今思えば手段が目的になっている感がありましたね。でも、とにかく楽しかったですし、効率は上がりました。
技術コミュニティに参加していくうちに作ることに興味が出てきた
技術に明るい同僚(当時は営業職)が、技術系コミュニティでクラスメソッドの社員が話すから行きませんか?と社内告知がありました。 メンバーが話すこともあり、技術わからなくても参加できそうな空気だったので、興味本位で参加してみました。
それが結構楽しくて・・その後もお誘いいただいたこともあり、技術系コミュニティに参加するようになりました。 このコミュニティの参加により、いろんなエンジニアの方と仲良くなりました。 正直コミュニティで話される内容はよくわからないことも多かったのですが、「作る」ことに興味がでて、仕事に対する考え方が変わったように思います。 管理部はルーティンワークで仕事にあまり起伏がないように思われがちですが、小さな会社では改善する点がとても多いです。コミュニティで話を聞くうちに、Excel の管理をやめてなにか作れないか?と考えるようになりました。Excel 関数を駆使していろいろやっていましたが、たくさんの管理表を更新するのに辟易していたのです・・。
<余談> 当時は分からなかった話も、そういえばこういう話を聞いたな・・こういう考え方もあるんだよね・・と、考える時の土台になったり、あとからじわじわ効いてきました。
Java に挑戦、がすぐに挫折! Access でアプリを作る
何か作ってみよう!と奮起。Java 入門書を購入し挑戦しました・・・が、すぐに挫折・・。 すぐに動いて使えるものが欲しかったので、やってられん!ってなってしまいました。そこで目をつけたのが Access です。フォームやデータベースをまとめて作れるので当時の私にはちょうどよかったため、Access を始めてみました。しかし、プログラミングの知識 0 からのスタートだったので、コードの書き方はもちろん、データの正規化とはなんぞや、という状態。入門書籍やネットで調べたり、エンジニアの同僚に聞いたりしながら見よう見まねで書きながら学習しました。サンプルコードにブレークポイントをいくつも置いて、コードはどんなふうに流れていくのかを何度も繰り返し確認したり・・今思えばだいぶ非効率なやり方していたと思います。 そして、3 日前の自分は他人(自分のコードなのにわからん!)を何度も実感しました。(コメント大事)
今コードを見たら酷いものだと思いますが、一応動くものは作れました。 当時営業事務は私 1 人だったこともあり、作ったアプリは他の人と使う想定はなく、自分の業務範囲内で使っていました。 しかし、だんだん営業や経理側でデータを確認したい、こんなデータが欲しい・・などの要望があがり、そうもいかなくなってきました。
<余談> 「変数」と「配列」を理解するのにちょっと時間がかかった記憶があります。今思うとなんですぐに理解できなかったのかわからないです。
AWS 事業が軌道に乗り、事務業務がパンクしてきた
AWS 事業が軌道に乗り、ポツポツと数枚程度しかなかった AWS 関連の請求書が倍々に増えていきました。特に AWS 利用費の請求書が多くなりました。 この時点ではまだ注文書や請求書はすべて Excel で作成、郵送。事務担当は私 1 人です。休日出勤・早出・残業でヒーヒーしながら回していました。特に AWS 利用費の請求書は、AWS 側の利用料金が確定しないと請求書を作成できない&お客様は自社の月締めに間に合うように早く請求書が欲しい、ということもあり、すぐに請求書を発行しないといけません。私以外の家族がインフルエンザになったときは、今休むわけにはいかないんだが?!!!っと本当に恐怖でした。気合いで乗り切ったのかなんなのか私は罹患せずに済みましたが、その恐怖との戦いもいつ終わりが来るのか分からず、今思えばクラスメソッド歴の中でこの時が一番辛かったです。そんなとき、業務アプリ?を作ったことで目をつけられて(笑)仲良くなった同僚(エンジニア/クラスメソッドメンバーズポータル(以降、CMP)の生みの親の 1 人)が、AWS の利用料金から請求書 PDF を発行するのってどう?と声をかけてくれました。
CMP で請求書 PDF 発行スタート!です!
この請求書発行に向けて要件定義などなど一緒に行い、フォーマット編集や、SQL も少々やらされました。 のちほど書きますが、同僚曰く「開発向いてる気がするから鍛え始めてた」とのことでした(^^;) しかし、PDF 発行だけなので印刷やメール送信は手動です。こちらも一緒に要件を確認しながら、同僚にメール自動送信機能を作っていただきました。 これまでは社印や承認印など各種押印が必要でしたが、自動送信に切り替えるのと同時に請求書の押印は社印のデータ印のみ、原則メール送信(郵送はオプション)に変更することになりました。
事業開発部(現:産業支援グループ小売流通ソリューション部) に異動
請求書の自動発行に加えて営業事務に人員が補充され、ちゃんとした業務システムを導入することになりました。 さすがに Access ではもう限界だということと、会社としてもっといろんなデータを取り込んでしっかり分析していきたい、業務効率化を目指したい、という話が上がったためです。Access は役目を終えました。Access は導入する業務システムのベースとして最後に役に立ったようです。 そして、件の同僚から開発部署へのお誘いをいただきました。この時は開発ではなく、 QA 担当という役割でした。管理部では私の役目は終わった気がしたことと(このあとも色んな進化があったのでそんなことはなかったかも)、開発部門への興味があったこともあり、異動を決心しました。
そのあと、 Java を勉強してコードやテストを書いたり、設計のようなものをしてみたり、ドキュメント周りを整備したりといろいろ経験させてもらいました。今は、プログラムをゴリゴリ書いていくのは専門でずっとやってきた得意なメンバーにお任せして、私はドキュメント関連を主軸にしています。ドキュメントという観点から仕様やバグについて確認や提案を行い、時にはコードを読みながら、「正しく」、「ユーザーにとってわかりやすい」ドキュメントを目指して書いています。チーム内の各所からお褒めの言葉をいただいたり、ドキュメントを書くのも好きなので毎日充実しています。
まとめ
15 年 7 ヶ月、いろいろありすぎて、どれについて書こうか悩みました。 長くなるのでいろいろ端折ってしまいましたが、クラスメソッドにとっての大きな転換期に立ち合い、私自身も事務職から開発職に社内転職という、なかなか濃密な 15 年でした。当時のことを思い返すと、今は別の会社にいるかのような・・入社当時では想像もつかないほど変わりました。クラスメソッドはこれからもどんどん変わっていくでしょうし、私もその変化に対応しながら、自分自身が納得できる仕事をしていきたいと思います。