10月からCX事業本部にジョインした吉川です

10月からCX事業本部にジョインした吉川です。なぜクラスメソッドへのジョインを決めたか、自己紹介を交えて書いていきます。
2020.10.01

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10月からCX事業本部にジョインした法学部卒プログラマの吉川です。
京都出身ですが、広島でふるさと勤務させて頂きます (ふるさととは・・・?) 。

よく初対面の方から

「どうして文系学部卒なのにプログラマになったの?」
「京都出身でなんで広島にいるの?」

とご質問頂けることが多いので、本当にふらふらとした人生で恐縮ですが「大学卒業からクラスメソッドに流れ着くまで」を自己紹介させて頂きます。

経歴

京都で生まれ、育つ

大学 (法学部)

関西の機械メーカーで営業マン

大阪で業務システム受託をしている会社

広島でWebシステム受託をしている会社 (ここで広島に引っ越す)

自社でB2B SaaSをやっている会社 (広島でリモート勤務)

クラスメソッド CX事業部 (広島でリモート勤務) (今ここ)

何も考えず営業マンになり、後悔

大学時代の就活では本当に何も考えておらず、文系学部だったので「文系は営業でしょう」という気持ちで最初に内定を頂いた機械メーカーにそのまま営業職として就職しました。
そして入社してから営業の適正が絶望的であることを実感し、このまま続けることは不可能だと確信したので、別の職種に目を向け始めました。

なぜか「公務員かプログラマ」で悩む

僕はなぜか公務員試験の勉強とJava入門書の勉強を並行していました。

子供の時からパソコンで遊ぶのが好きだったので、プログラマに転職したいという気持ちは割と前から持っていました。 (今考えると、美食家の人がシェフに向いているとは限らないように、パソコンを触るのが好きだからプログラミングができるとは限らないと思います。僕の場合はプログラミングを楽しめたので幸運でした。)

一方、「新卒就活で失敗した自分はこれ以上失敗できない」という意識もありました。
プログラマの業務は楽しそうですが職場によってはブラックという噂もネットで見ていたので、そこで二の足を踏んでいました。
その点、公務員は「安定している」「ホワイトな職場」というイメージがあったのでこちらを目指した方が後悔がないのではないかと思いました。

ひとまず、いくつかの自治体を受験してみることにしました。
そこで「志望動機が全然思いつかない」という大問題に気付かされます。
筆記選考は通過しても面接で志望動機が言えずほとんど落ちました。
唯一、関西のとある市役所だけ最終面接までたどり着くことができました。たまたまこの市役所では志望動機を聞かれずに選考を進められたからです。
そして最終面接で志望動機を聞かれ落ちました。

そもそも志望動機が出てこないのは大してやりたい仕事ではないということです。
もし仮に合格したとして、それくらいの気持ちでは一緒に働く職員の方々や市民の皆さんに迷惑をかけるだけだとここでようやく気づきました。
そしてやはり興味があることを仕事にするべきであると腹を決め、プログラマに転職することを決意しました。

プログラマに転職を決意

そして未経験者応募可の受託会社に「PG」として転職します。
ここではVB.NETを用いた開発に参画しました。

自分にプログラミングの適正があるか不安でしたが、センスがあるかはともかく、とても好きになれました。
業務時間はもちろん、退勤後や土日も勉強に充てていたので「寝ても覚めても」というくらいプログラミングしていたと思います。
この間のプライベートな学習でRails Tutorialに出会い、Ruby on Railsの書き味と生産性にすごく感動したのを覚えています。
新米ながら知識が増えていくにつれ、 (プログラミング言語のトレンドなどもそうですが) gitやDockerやクラウドサービスを空気のように活用するようなよりモダンな開発環境で仕事がしてみたいという思いを持ち始めました。

京都から広島へ引っ越し、結婚

(両方鳥居でわかんねえな・・・)

「よりモダンな環境を」と思って転職活動する人は普通は東京を目指しそうですが、僕は広島の会社を探していました。
大学時代から付き合っていた彼女が広島出身で、卒業後は広島に帰省して僕は関西にいたので遠距離交際となっていました。
なので「どうせ転職するなら広島に引っ越して結婚したいな」と考えていました。

幸いなことに希望に合う会社が見つかり、応募して採用頂けたのでめでたく広島へ引っ越し1年ほどして結婚しました。
この会社ではLaravel+Vue.jsを用いたWebシステム開発をさせて頂きました。
またDockerによる開発環境の構築やAWSの経験も積めました。

何よりもとても優秀な先輩・同僚の指導に恵まれ、プログラマとして一番成長できた時期だと思います。
ここで出会った皆さんとは勤め先が異なる今でも飲み仲間として交友が続いています。

そしてまた転職をするわけですが、理由は3つありました。

1つ目は基本的に前回と同じで、案件をこなす中で先輩・同僚達がよりスキルを高められる職場へと旅立っていくのを見て、自分自身もその気持ちが出てきたことです。

2つ目は自社サービスを持った企業で働くことに対する関心です。
一般的な受託開発は「納品したら終わり」という形が多いですが、ビジネス的な成功という本当のゴールから見ると納品 (ロンチ) はスタートに過ぎません。
しかし、納品形式では開発する側はどうしても「納品がゴール」になってしまいますし、上で述べた本当のゴールにも目が向きにくくなってしまうと思います。
また、2次請け以降になるとエンドユーザとのコミュニケーションにおいていわゆる「伝言ゲームでの齟齬」に悩まされることが結構ありました。
この時の自分は「もしかしたら受託開発はお互いにとって最適なやり方ではないのかもしれない」と思い始めていました。
その点、サービス・システムを作りたい人と開発者が一体となって仕事をする自社サービス企業への憧れがありました。

3つ目は「次は東京の会社にフルリモートで勤めてみたい」と思っていたことです。
僕は今住んでいる広島は好きですが、やはりITの会社の数は東京に比べるとずっと少ないです。
その点、広島に住みながらフルリモート勤務ができるプログラマになれば、自分の可能性がぐんと広がると思いました。

初めての自社サービス企業

自社でSaaSをやっている会社に転職しました。
非常に自由な社風で、広島からのフルリモート勤務も快諾頂け、楽しく開発業務をさせて頂けました。

前回に次いで技術的に成長できた職場でもありました。
Webバックエンド領域をメインで担当し、Ruby on Railsのアプリケーションレイヤー開発、RSpecを用いたテストケース記述、MySQLテーブル設計・改修など経験させて頂きました。
また、シビアなパフォーマンス要件に大してSQL実行時間の計測・チューニングを行う業務は初めて経験させて頂きました。
バックエンド開発の比重が多かったですが、担当機能に紐づくReactフロントエンドの改修も一部担当しました。

そしてクラスメソッド CX事業本部へ

クラスメソッドへ転職したのは、もちろんふるさと勤務制度があったこともありますが、何よりも「納品がゴール」ではなく「技術者が寄り添う伴走スタイルで」課題を解決するという方針に共感したことが大きいです。
また、「とにかく技術に大して貪欲」「テクノロジーが好きな人が集まっている」という社風の中で自分の技術力を高めていきたいというのと、実際業務でも最新のクラウドサービスを投入し現在進行系で実績を重ねていると思うので、自分もぜひそれに参加したいと思いました。
先輩の皆さんは優秀な方ばかりだと思うので、自分の未熟さ故に迷惑をかけることがないよう謙虚に学び続けていきたい所存です。

これからやりたいこと

まずは業務をしっかりとやりたいです (当たり前) 。
Developers.IOでの技術的なアウトプットにも挑戦していきたいです。