[レポート] 伊藤かつら氏(人事院 人事官)、小島英揮氏(Still Day One)、横田聡(クラスメソッド)が語る『ビジネスとコミュニティの20年史』#devio2024
クラスメソッド設立20周年を記念し、オフラインイベント、オンラインイベントを複数日にわたって展開するイベント「Classmethod Odyssey」を2024年07月現在、絶賛開催中です。
当エントリでは、2024年07月12日(金)に開催されたオフラインイベント「DevelopersIO 2024 TOKYO」におけるパネルディスカッション「ビジネスとコミュニティの20年史」の内容についてレポートします。
セッション概要
イベント公式サイトに記載のセッション概要情報は以下の通りです。
- セッションタイトル
- パネルディスカッション ビジネスとコミュニティの20年史
- 登壇者
- 伊藤 かつら氏 (人事院 人事官)
- 小島 英揮氏 (Still Day One合同会社 代表社員)
- 横田 聡 (クラスメソッド代表取締役社長)
- セッション概要
- クラウドサービスに黎明期から携わるレジェンドなゲストから、経営、ビジネス応用、クラウド技術の発展などクラスメソッド代表が幅広く知見をうかがいます。20周年を迎えるクラスメソッドの過去と未来を語ります。
セッションレポート
ここからはパネルディスカッションの内容についてレポートします。
なお、当日のパネルディスカッションでは、パネリスト3名の他、当時の事を良く知る 嵩原將志(take3000 | DevelopersIO)さんが全体の司会進行を務めました。(以降敬称略。会話中の呼び名はそのまま記載としました)
3人揃うのはかなり久々ということで開始前に記念写真撮影。ポーズをどうしようか話し合う3人
登壇者各位自己紹介
まずはパネルディスカッションに先立ってパネラー各位の自己紹介から。
伊藤:
- 伊藤でございます。こんにちは。
- 外資のソフトウェアで35年程やっております。マイクロソフト時代ではエヴァンジェリストのチームを持っていたり、カスタマーサクセスのロールを日本でローンチしたり、直近ではChief Learning Officierをしていました。
- そしてある日電話が掛かってきまして、気がついたら霞が関で人事院人事官になっていました。就任して2年ほどになります。本日はよろしくお願いします。
人事院 人事官 伊藤かつら氏
小島:
- 小島と申します。30年くらいITの世界でマーケティングをやっております。
- 一番最初の会社(PFU)は当時職種採用をしていて、マーケティングのポジションもあったので応募して採用されました。
- アドビシステムズ在籍時の上司が(伊藤)かつらさんで、先程控室で久しぶりにあった際、背筋が伸びちゃいました。
- その後にAWS、そして今の会社(Still Day One)でマーケティングを支援しています。
- 最近は、今日は「コミュニティ」という文脈があると思うんですけれども、コミュニティマーケティング、コミュニティを通じて新しい考えとか仲間を増やしていくという手法をもっとちゃんとした器で広げていこうということで一般社団法法人としてコミュニティマーケティング推進協会を立ち上げまして、代表理事を務めています。
- どうしてここに至ったか、というのを今回のパネルディスカッションでやるんじゃないかなと思っています。今日はよろしくお願いします。
Still Day One合同会社 代表社員 小島 英揮氏
横田:
- クラスメソッド代表の横田です。よろしくお願いします。
- 職歴は無くてですね、大学院を卒業して個人事業主になり、お金を貯めてクラスメソッドを作ったのが2004年です。
伊藤:
- 会社員になるという選択肢は一切無かったんですか?
横田:
- 大学3年の時に合同就職説明会に参加した時に「あ、無いな...」とは思いました。
小島:
- そう思う人はたくさんいると思いますけど、そう思ってこう(今の状況に)なる、というのはなかなか無いんじゃないでしょうか。
横田:
- そこはもう、御縁ですね。そして会社を作ってすぐ「Flex User Group」を作ることになりました。これも御縁ですね。
- その後JAWS-UG、これは作ったというわけでは無くいちメンバーとして参加していたりとか、同じタイミングでDevelopersIOでオンライン上で情報発信を始めたりしていました。
クラスメソッド代表取締役社長 横田 聡
3人の関係
嵩原:
- 続いて、御三方の関係性についてお伺い出来ればと思います。
小島:
- まずは「Adobe」というのは1つキーワードになっていると思っていまして...おっ、ありがたいことに当時のTシャツを来ていらしている方がいますね。(筆者注:セッション終了後に本人了承の上、Tシャツの写真を撮らせて頂きました。)
- このAdobeで、Flexという新しいテクノロジーを送り出す時の総監督(伊藤さん)で現場担当(小島さん)で、コミュニティリーダー(横田)ですよね、そういう関係がありました。
- その後、私がAWSに移った時、Flexで培ったムーブメントの作り方をAWSでもやったらうまくいくのでは、ということで、僕は横田さんに「(AWSでもコミュニティを)一緒にリードして欲しい」と伝えたんですが、横田さんは「裏方に回ります」といって受付に座って参加者数から懇親会の手配をするっていうのをずっとやってくれてました。
- 実はミートアップやコミュニティって、ある「関心軸」で集まるものだと思うんですが、
そこに「信頼軸」をプラスする上で、ネットワーキングはすごく大事だと思うんですね。 あの懇親会が無かったらあそこまで多分JAWS-UGって発展しなかったと思うんです。そう考えると横田さんにはすごい重要な役割を担って頂けたんだなと。 - JAWS-UGはFxUGが無ければ出来なかったと思いますが、とはいえ過去の話ばかりしてもアレなので今日は未来の話もしたいなと思います。
伊藤:
- 私が当時すごく思っていたのが、20年位前は日本にまだ技術者のコミュニティが存在していなかったんですね。IBM在籍時にサーバーサイドJavaのWebSphereの初代マーケティングというものをやっていたんですけれども、それって当時のIBMの技術者では手に負えなかったんですね。オープンソースのJavaの世界で。
小島:
- 価値観とか、成り立ちとが違うので。
伊藤:
- で、ニューヨーク本社でやっていることを見ていて「あ、こういうことをやって技術者を繋げるんだ...」という思いがすごくあったものですから、Flexもそういうことをやらなきゃなと思って、ある日、まぁ今思えば私も未熟な上司だったんですけれども、小島くんを部屋に呼びつけてですね、
小島:
- 私も突然呼ばれたので恐る恐る行った記憶があります。
伊藤:
- 「あのさ、Flexの技術者向けのイベントで、イベントやった方が良いと思うんだよね。渋谷か恵比寿あたりで、ちょっと格好良いライブハウスみたいなところで、開始時間は16時で、ビール用意して、で良い感じに楽しくやってね、よろしく♪」って。
小島:
- それ聞いて、もう超困惑ですよ(笑) 何言ってるんだろうこの人...って。
伊藤:
- そしたら小島くんが「ちょ、ちょっと待ってください。30分時間ください」って部屋を出ていったんです。
小島:
- はい、出ていきました。
伊藤:
- で戻ってきて「わかりました」という返答でした。
小島:
- その時は日本語としては分かったんですが、言っている意味が分かりませんでした。
伊藤:
- (その時は)泣いてたの?
小島:
- いや、泣いてはいないですけど(笑)、何を言ってるんだろうな、でもそれがあったらどうなるんだろうなと。
- 今にして思うと頭の中でイベントのイメージを作ってたと思うんですよね。だってその当時は全然そういうイベントってどういうものかわからないし。昼間に開催して、ネクタイ締めた進行役がいて、最後にアンケート取ってお疲れ様でした、って帰るのがイベントだと思ってたので。当時の。まぁ今もそういうイベントはありますけど。
まぁ今もそういうイベントはありますけど。 - なのでかつらさんがそういう風に(イベント像を伝えたのも)何か理由があるんだろうと。多分かつらさんが僕に言ったのと違うものなんだけど、一応自分の中で形のイメージが出来たんで「やれる」と。でも結果は分かんないと。言ったものはできる、と伝えました。
伊藤:
- でもそこまで30分でプロセスしたわけですよね?
小島:
- めっちゃラフな画だったとは思います(笑)
- 今だったら、Meetupとかで、参加者が横で繋がるのって普通じゃないですか。でも当時はそういうのがなかったので。あれが今の僕のコミュニティマーケティング代表理事における礎、"バタフライエフェクト"の一番初めの瞬間だったのかなと思います。良く(部屋に)呼んで頂けたなと。
- ...ちなみに他の人って選択肢は無かったんですか?他の人ならもっと上手くやれたな、とか。
伊藤:
- Flexは当時Adobeの中で数少ないエンタープライズ製品、かつデベロッパー向けの製品でもあったので、この双方をカバーできる人...と考えたら小島さんしかいなかったかな。
小島:
- 当時のAdobe、クリエイティブな人は皆Tシャツとかラフな感じ、格好良い感じだったんですけれども僕らのチームだけネクタイしてましたね。横田さんに初めて会ったときもネクタイしてましたね。
横田:
- 確かに、そうでしたね。
伊藤:
- FxUGのコミュニティ立ち上げの際、「あ、これは出来るな」と思ったのがやっぱり横田さんの存在があったからだと思っています。
- それはなぜかというと、当時横田さんがFxUGをやりながらオンラインで全ての質問に応えてたんですけども、その応え方が"大人"だったんですよね。20年前のコミュニティ、コミュニティに限らず当時のネット上での技術者のやり取りはまぁ色々あったわけなんですけれども、それらに対して横田さんは何も言わずに優しく、時には良い感じにスルーするさまを拝見していて、「これならコミュニティを立ち上げられそうかな」と思ったのを覚えています。
小島:
- そういった意味だと、パーツが揃っている、設計者がいてコミュニティリーダーがいてコミュニティマネージャーがいたと思っていて、僕は今(コミュニティマーケティング)協会で良く「コミュニティの設計とコミュニティマネージャーとリーダーがセットで必要ですよ」というのを話してるのですが、このときはそれらがちょうど良い感じで揃ってたんですよね。
- それを今、20年掛けてようやくフレームワークにしている。奇跡の出会いだったかもしれないけど、出会うべくして出会った関係性だったのかなという気もします。
エンジニアコミュニティの歴史(横田近辺)
横田:
- ここでは、私がFlex User Groupを作る前の段階でどんな出会いがあったかについてお話したいと思います。
- 先ほどかつらさんがWehsphereの初代マーケティング担当だったということをお話しされていましたが、私も遠からず繋がっていた感じではありました。
伊藤:
- Javaの人だったんですね。Eclipseもやってたんだ...!
横田:
- あの当時感動したのは樋口研究室はJavaのServletに関して事細かに発信していたんですね。そして丸山先生はJavaの言語仕様というか、具体的な書き方、細かいニッチなことをたくさん発信していたんです。
- それを見ながら、この人たちはなんのためにやっているのか、詳しい情報を細かく全部発信されている。それを見て教わってきたので「今度は自分達が発信する側で出来たらいいな」という思いはありました。
小島:
- 発信してるのを見て「発信する側に回りたい」って思ったってことですよね?
横田:
- ですね。元々学生の時に研修講師をやっていて、教えれば教えるほど自分の理解が深まるんですね。そういうのが体験としてあったので、要は「人に理解をしてもらうためには、自分が一番理解しないといけない」という。
小島:
- アウトプットすると言語化が進むじゃないですか。それをしてたので、学ぶにはやった方が良いな、って思ったってことですよね。
伊藤:
- それを20歳とかの段階で思ってた、ってことですよね。
横田:
- ペイフォワードのカルチャーを、実際にコミュニティでの動きを見て、確かにエンジニアの方っていうのはスターエンジニアというか、技術をつくる人がいらっしゃいますが、使いこなす人もいる。
- そして多分ポジション的には自分の位置付けは「技術を伝える人」なのかなと。
Flex User Groupの設立のきっかけ
嵩原:
- 続いてFlex User Group設立のきっかけ、ということで私の方で内容を読み上げていきます。(順次上から読んでいく)
小島:
- ("場所を借りる調整"のところで)この時はMacromediaで開催したんですね、確か。
横田:
- ゼロ回目ですね。Macromediaの方から小島さんが引き継ぐ、という会でした。
小島:
- この時に私スーツでしたね(笑)
伊藤:
- コミュニティに目覚める前だ!
嵩原:
- そして伊藤かつらさんは、なぜか会うたびに褒めてくれた、と。
横田:
- 恐らく先程の話で、WebSphereのデベロッパーコミュニティがあったから...というのがあったのかなと。
伊藤:
- 日本でコミュニティに触れたのは、本当に横田さんが初めてだったので、「あ、こういう人がいるんだ。こういう方と一緒にやれば、私が何となくモヤモヤ考えていたことが多分、実現出来るんだろうな」と。
- 後はよろしくね小島さん!という感じでしたね。
嵩原:
- ここに書かれているキーワードで「伽藍(がらん)とバザール」だねと言われていた、とありますがこれは..?
横田:
- 実はこれ、私周りから言われたんですよ。ユーザーグループ活動をしている時に、参加者の方からまさにこのセリフを。
- 調べてみたら、クローズドコミュニティにするか、オープンなコミュニティにするか。オープンな方がよりポジティブなサイクルで広まっていくよね、というのを言われて、なるほどと。
Flex User Group設立時の方向性
嵩原:
- 続いては「Flex User Groupの設立時の方向性」について、です。(引き続き読み上げていく)
小島:
-
このあたりは、今でいう「Code Of Conduct」(コミュニティにおける行動規範)のようなものですね。このコミュニティはこういう場ですよ、というコンテキスト設定のためのルール。すごいフラットに付き合えるというところを丁寧に作っていた記憶がありますね。
-
参考
横田:
- これはJavaのユーザーグループコミュニティでJavaHouseっていう、今セキュリティで有名な高木浩光先生が作ったところなんですけれども、そこにはむちゃくちゃ詳しいエンジニアがゴロゴロいて、知見の塊な場所だったんですね。ただ、初心者に厳しい面もあったんですよ。(JavaHouseについては現在はアーカイブとして参照可能)
伊藤:
- コミュニティあるあるでしたね。
横田:
- で、だんだん沼化していくんですね。僕はその当時初心者的立場だったので、恐れ多くて近付けない...みたいな体験があったので、もし自分がやる時には、自分が何年やっていたとしても「今日が初めて」の人に優しくしていこう、という思いがあり、この方針を立てました。
嵩原:
- このあたりは私も懇親会に参加したりしていたんですが、「出来るエンジニアほどすごく優しい」っていうのをものすごく実感しました。
小島:
- 自分の話ばかりしないって人がすごく多かったですね。まず話を聞いてくれる。「今日は何が面白かったですか?」って傾聴する。扇型の場が出来るような配慮をしてくれる。すごく良い環境でしたね。
嵩原:
- このあたりのフレンドリーな感じ、受け入れる姿勢は後のJAWS-UGにも受け継がれていったのかなぁと思います。
小島:
- 僕がここで学んだのは「コミュニティは技術者だけじゃない方が良いな」という点です。ビジネスサイドの人がいると、話題って結構盛り上がるなと。
- エンジニアのみだと技術的な探求をしていく形になるんですが、それだけだと飽きちゃうんですね。いなくなっちゃう。ビジネスが入っていると「この技術をどう使うか」っていう、割とユースケースの話が出てくるのでJAWS-UGを作るときには「技術者だけの場にしない」っていうのはすごい意識していました。
伊藤:
- 特にクラウドに対しては(AWSが出始めた当初は)皆疑心暗鬼だったのもあったので、ビジネス側を巻き込んで技術を進めていく、ってのはすごく大事だったと思います。
小島:
- コミュニティの場でフラットにいろんな話しをするというのは「外の物差し」、違う視点を得るのに良い側面があると思います。大きく「技術者」だけの視点だとどこかで行き止まり感が出ちゃう。そこにビジネスの人がいる、というのはすごい良いなと。
- そして「製品や技術を利用したい人」、これもキーですね。技術ディスカッションに行きすぎない。「これって何に使うんだっけ?」という話がすごい面白かった記憶があります。ユースケースから聞くから、話の輪に入ってきた人もワクワクして楽しめるんですね。「良く分からないけどこういう動きになるんだ」「こういうビジネスが出来るんだ」と。そこからどんどん知りたくなる。ゴールを知った方が学びやすい。
嵩原:
- 「上下関係はない」「ベンダーから接待など受けない」「商材売り込みなど...」といった部分、ここは私もかなり注意をしていたなという記憶があります。慎重に進めていた。
横田:
- それまでのベンダーコミュニティって、どちらかというと「接待を受ける場所」みたいなイメージだったかなと。
小島:
- 大口のお客様を営業の方がおもてなしする、お客様の中にもヒエラルキーを作っている、みたいな感じですね。だけどそういうのではなくて...そう、組織じゃなくて個人なんですよね。皆、◯◯という会社から来ているんだけれども別に会社の看板を背負っているという訳ではなくて「小島です」「横田です」みたいな。
伊藤:
- 20年くらい前の頃は、技術者の社会的地位が...誤解を恐れずに言えば「低かった」わけです。今と比べれば。常にコスト削減のあおりを受けて給料も低いし、外で勉強するなんてことは会社が許してくれなかった。
当時のコミュニティは割とハンドルネームを使ったりして夕方や土日に「別人格」で行くような時代でした。 - 私はそれが不思議で、FxUGのときは分からなかったんですが、Microsoftもそういう技術者コミュニティがあるんですけれども皆さんやはりハンドルネームで参加されてたんですよね。
- 「何でハンドルネームなんですか?」と聞いたら「会社にバレるとまずいので...」という風に返ってきて。
- えーっ?!あなた休みの日や夜の時間帯を使って、技術を一生懸命追求している、それが会社で評価されこそすれ、何で隠さなきゃいけないんですか?...っていう話をまぁまぁガチでしたことがあったんですけれども、それが2010年〜2011年頃。
- それから2017〜2018年くらいから変わってきたかな、って思いますね。技術者が不足してきて、クラウドシフトが起こり、コミュニティで学ぶのが当たり前になってきた。
小島:
- でも、それはモダンなクラウドとかの技術界隈に出入りしている人はそうなんだけど、今、僕コミュニティ関連の活動で色々なシーンにおられる方々とお話させて頂くなかで、所謂JTC、日本のトラディショナルな会社にいくと、とにかくそういうところに行くってだけでそれだけで目を付けられるそうです。なのでハンドルネームを使うと。
伊藤:
- なんで目を付けられるんですか?
小島:
- 会社からすると「良く分からないことをしている」と見られるんだそうです。「得体が知れない」ってやつですよ。会社の看板で何かやっているようだと。目立ってるな、みたいな...というのがあるんですって。
- ただ会社側からの意見も仰る通りで、会社の看板を背負ってやった方が絶対良いんですよ。背負って、というかオープンにした方が。隠れていると見つけられなくなっちゃう。ハンドルネーム=◯◯さんと、世の中にいる△△△さんが合わないわけじゃないですか。
- それは情報の受け入れ手としてはあまり良くない。同一人物の方が絶対良い。
伊藤:
- 人事院に来る前はChief Learning Officer をしていて色々な企業のデジタル人材に関わる活動をしていたんですが、そういうのをやるとJTC系のお客様から「そんな勉強して資格まで取ってもらったら辞めちゃうじゃないですか」っていうんですよ。
- 私はそれに対して「いやいや、優秀な人は勝手に辞めていきますから、ご心配無用です。むしろ優秀な方に会社として投資してスキルを付けてもらい、それに対して会社が報いてあげる、それが一番のベストな方法じゃないですか?」と答えました。
小島:
- それがフェアですね。「優秀な人って知られちゃうのが嫌だ」ってことになるわけでしょ。処遇をちゃんとしなさいよ、って事ですよ。
- 会社の壁を超えて個人が知られるようになっているので、会社としてはそこにアジャストしないといけない。優秀な人材はその人の市場価格をもってして引き止めるしかないわけで。パワーバランスが変わってきた。
横田:
- コミュニティに参加して色々な仲間を見つけ、起業して大成功するっていうモデルが出来たのでJTCの方たちには「エンジニアが自分たちのところに来ない」という道があるんだというのを示されてきたのかなと思いますね。
嵩原:
- 最後の「技術を知らなくても貢献出来ることはたくさんあるので歓迎」このあたりは私も参加しやすかったなぁ、というのはありました。
横田:
- これは嵩原(take3000)さんなんかそうでしたね。エンジニアでは無かったけれどもコミュニティで無くてはならない動きをされていた。こういう動きはJAWS-UGにも繋がっていく。
小島:
- コミュニティのオペレーションとしては間違いなくそうです。嵩原さんの視点から見ても、技術は分からないけれども「この人はこの技術を知っている」というマッチングができるようになる。こういうことだったらあの人に相談に行くと良い、みたいな。人のやり取りを観察することで得られる事もたくさんあったと思います。リクルーティングにもそのあたり得るものがあったのではないかと。
嵩原:
- はい。採用業務においてはだいぶこの時の経験が役に立ったなと思います。
その後の展開
嵩原:
- このページがディスカッションテーマ、ラストになります。
横田:
- 今日お話してきたFlex User Groupでの出会いと、活動によって得られたノウハウや知見が後のJAWS-UGに役立ちました。
伊藤:
- あの、一つ聞いていいですか? 私の中では、横田さんがキレているのを見たことが無いし、酔い潰れたのを見たことが無いし、約束にも遅れたことが無いし、コミュニティでもいつでもスッスッって動かれている印象があるんですよね。
横田:
- いや、結構キレてますよ(笑) そしてあの頃は会社が鳴かず飛ばずだったので、生きることに精一杯で、
コミュニティが憩いの場だったんですね。
伊藤:
- (当時)コミュニティの掲示板で炎上してましたよね。
横田:
- それは当時、方針を理解している仲間がいたので「こういうコメントが来たけれどもこういう風に返そう」という感じでやっていました
嵩原:
- 書き込みを読んで、ちょっとカチンと来たとしても、その書き込む背景があったりとか、そのまま返しちゃうとそれこそ炎上してしまうので、そこは割と慎重に対応していたなと。刺激的な意見を言う人も尊重しつつ、背景にも興味を持つ。
小島:
- 書いてることは「ん〜?」だけれども、人に興味を持つ。なんでそういう経緯になったんだろう、という。そこを丁寧に見ていくとインサイトが得られる。「なぜそう思ったか」の方を改善していかないとまた同じ展開が繰り返されちゃいますからね。
横田:
- その次の展開ですけれども、結構この頃、勉強会ブームとかブログブームとかがあったんですね。
で、だんだん皆疲れて来て、毎日のように勉強会があって。ブログとかも(個人で)皆書いてるんだけれどもだんだん疲れてきて。 - そこでちょっと趣向を変えて、面白いことをやってみようってことでDevelopersIOを始めたんですけれども。毎日10件20件、ノウハウを垂れ流そうと。時期的には2011年頃のお話です。
小島:
- 始めたのは1人で?
横田:
- 仲間はいました。最初5〜6人で仕込んでやろうよ、って感じで始めました。
嵩原:
- この動きは私は社内から見ていても最初「えっ?」って思ったところがあって、このときはすごくTwitter(X)が伸びていた時期でした。
小島:
- Twitterがミニブログって呼ばれてた時代ですよね。ブログは重厚長大だからTwitterでやればいいじゃん、って感じでしたね。
嵩原:
- そこで敢えてブログを改めて選んだ、っていう部分、ここは横田さんに背景とか説明してもらえると嬉しいかなと思いますがいかがでしょうか。
横田:
- これは個人が自由に今まで書いていたものを、企業の中で皆が相互レビューしながら、クオリティを上げつつ大量に投下していく、しかも業務時間中に皆書く。
小島:
- そうなんですよね。これ「業務」なんですよね。後に「ブログの会社」と知られる訳ですけど、ブログを書くことで評価される人が大量に採用されているのを見て、これは「投資」だと、明らかに意図的にやっていることだなと思いました。最初私も「在籍している人が業務の合間に書いてるんだな」と思ったんですよ。溢れるアウトプット欲で。でも、人に拠ってはブログしか書いてないようにも見受けられる...これは僕らの観測範囲ではありますが...
あ、これは投資をしているんだなと。この理解は合ってますか?
横田:
- そうですね。これは信頼貯金といいますか、Flex User Groupも毎月手弁当で毎月運営をしながらゲストも呼んで...ということをやっていて、そういう風に裏方として続けていくと仲間も増えてくるし、信頼も積み上がってくる。その頃から信頼貯金はオフラインで積み上げていきました。
小島:
- このあたりはまさに伊藤かつらさんど真ん中じゃないですか。
伊藤:
- まさにその話を(この後のセッションで)しようと思います。
横田:
- これは結果的にやって良かったんですけれども、2年前にAWSのヘッドクオーターから「お前らすごい」って初めて褒められたんですよ。
小島:
- 僕マーケの人間なのでやはり「第一想起」の強さ、取ることの難しさは非常に実感していて、第一想起って、こっち(ベンダー側)で作れないんですよね。自分で自分のことを幾ら言っても、周りが確かにあの人は/あの会社はそうだ、とならないといけないんです。それを、「ブログ」というアウトプットを使って、周りに認識させたと。
- これは以前横田さんに聞いたことがあるんですけど、今でもすごいなと思うんですけど、「情報を出す」ことは会社によっては「ノウハウを出している」から良くないんじゃないの?つまり情報資産が出ているんじゃないの?というのを質問したんですね。
- そこに対する横田さんの返答がすぐにパッと返ってきたんですけど「いや、そんなの誰かがすぐにキャッチアップしちゃうので。大事なのは誰よりも早く書いている、誰よりも早く出している、誰よりもたくさん触っているっていう"状態"の想起なんです」と。
- 情報には賞味期限があるけれど、積み重ねた「一番手」のポジションは賞味期限が無いんですよね。その状態を続けていけば複利みたいに(信頼貯金が)貯まっていくというのを、本当にちゃんと全部分かってやっていたのだとしたら本を早く書いて欲しいな、と思いました。
横田:
- 25周年に向けて...
小島:
- あ、これはどこかでちゃんとアーカイブして頂かないと(笑) あと5年で書くと仰っているので。
嵩原:
- 録画もちゃんと残していますので大丈夫です!
伊藤:
- (ブログに関しては)エンタープライズの世界ですから、お客様がクラスメソッドにお仕事をお願いする、っていう意味でも役立ったと思いますし、採用にも貢献したんじゃないですか?
横田:
- そうですね。同じ匂いがする仲間が集まってきました。採用もインバウンドでした。今も年間数多くの方々からエントリ頂いています。
横田:
- 次のトピックです。Flexのときはコミュニティは上手く行ったんですが、扱っている技術がライフサイクルの都合上上手く行きませんでした。
伊藤・小島:
- その節は大変申し訳ございませんでした...
横田:
- それで、運良くAWSに出会ったんですけれども、ある時小島さんが「本屋のアマゾンに行く」って連絡をくれて。何かやりますよと。
小島:
- タイミング的に最終(面接)のあたりでしたかね。リファレンスをお願いした気がします。
横田:
- 私とかつらさんが。
小島:
- お二人が僕をAWSに送り込んだ、と思っています。
横田:
- AWSは御存知の通り、マーケットがガーッと伸びて、今も伸びていますけれども次の展開。コミュニティを何周かしていく中で、クラスメソッドは今後何やればいいですか?
小島:
- 一応、この後話す僕のセッションではここを分解する内容となっています。ここでは僕の興味だけを先に言うと、AWSのときはJAWSでは裏方に回ってJAWS以外の色々なコミュニティにコントリビュータとして徹底的に出ることで"その筋"に第一想起を作ることが出来たのではと思っています。
- 正しいマーケットで第一想起をコミュニティ経由で作った。これはかなり成功パターンとして今あるはずなので、じゃ次、AWSの次にどの筋の技術、コミュニティ、エコシステムにベットするのかを注意深く見ていきたい。
横田さんがベットしたらすーぐにそこの会社の株を買おうと思います(笑)
横田:
- そのあたり、かつらさん、小島さんにはまた改めてご相談させて頂ければと思います。
伊藤:
- これからの企業って最後は社会にどう貢献していくか、社会に対するインパクトっていうのがすごい評価されると思っています。
- クラスメソッドさんは既にコミュニティ、技術者のコミュニティでクラウドをこれだけ牽引なさって、そのベースを持っていらっしゃる。名だたるエンタープライズの方々にインパクトを与え、エンタープライズの方々が変わるのを助けていって欲しいと思います。
嵩原:
- ちょうどお時間となりました。以上を持ちましてパネルディスカッションを終了とさせて頂きます。最後に御三方に盛大な拍手をお願い致します。(参加者一同拍手)
まとめ
という訳で、伊藤かつら氏、小島英揮氏、横田聡によるパネルディスカッション「ビジネスとコミュニティの20年史」のレポートでした。この3人による会話でしか聞けない内容がそこかしこに散りばめられており、また今後の展開や活動のヒントになるようなポイントも多数得ることが出来た内容だったと思います。ありがとうございました!
伊藤かつら氏、小島英揮氏両名についてはこの後それぞれ単独セッションの登壇もあり、そちらも非常に興味深い内容でしたので追ってレポートを公開したいと思います。