クラスメソッドのブログの歴史を振り返る #2 『DevelopersIO前史2:会社ブログ開設〜分割ブログ時代(2011〜2012年)』 #クラスメソッド20th
このエントリはクラスメソッド設立20周年を祝して開設された記念サイト内の企画『クラスメソッドのブログの歴史を振り返る』のコンテンツの1つです。
2011年07月01日にクラスメソッドの会社ブログとして産声を上げた『DevelopersIO』。2023年07月時点で丸12年の歴史を積み重ねて来た形となりますが、当エントリはその歴史における『DevelopersIO開始前夜2』として2011年から2012年における会社ブログの状況をについて、当時を知ることの出来る情報と"当時を知る人"から幾つかの話を伺う形で情報を整理し、振り返っていきたいと思います。
目次
「ブログの歴史」概略〜2011年&2012年〜
まずはクラスメソッド該当する時期、DevelopersIOが開設される2011年からだいたい2012年までの歴史をザッと振り返ります。
当エントリについても途中(DevelopersIO開設)までは当時を知る方々へのヒアリング等で収集した情報、またインターネットを漁って得ることの出来た情報をもとに構成していきます。
日付 | 主な出来事 |
---|---|
2011年06月以前 | 会社ブログ展開を試行錯誤していた時代 |
2011年07月 | クラスメソッドとしてブログを展開(分割ブログ時代) |
2013年??月 | DevelopersIOとしてブログ環境を統一&リニューアル運用開始 |
クラスメソッドとしてのブログを試行錯誤していた時代(〜2011年06月)
今回ブログを書くにあたり、関係各所にインタビューを実施したところ、次に書くトピックで言及されるブログ以前に、実は試行錯誤の後にボツとなったブログ環境が存在していたようです。この辺りの情報に関しては本当に『当時を知る社員のおぼろげな記憶』にしか存在していないものではありますが、『そういう時期があったんだな』というポイントだけでもここに書き記しておこうと思います。
DevelopersIOの前身的ブログが立ち上がり運営が始まる(分割ブログ時代:2011年07月〜)
2011年、クラスメソッドは8期目を迎えていました。2020年に登壇発表した『[しくじり過ぎ]就職せずに自己資本でクラスメソッドを起業して16年掛けて年商200億円になった話』や当時を振り返るつぶやきでも言及されていますが、当時はクラスメソッドとしてもかなり厳しい状況にありました。
クラスメソッドの8期目の売上は3.6億円。ビジネスの行き詰まり。苦楽を共にした仲間が毎月辞めていく。引き止める理由が見つからない。初のリストラ。家賃1/3に引越し。でも30数人もの仲間が残ってくれた。まぁゼロから始めたしゼロに戻ってもいいかー的な謎のポジティブ思考を発揮しはじめる。
— Yokota, Satoshi / Classmethod (@sato_shi) June 30, 2019
そんな状況の中で、クラスメソッドの会社ブログは産声を上げます。
横田:
個人ブログっていうと、だいたい匿名でやっているというのが当時は多かったんですよね。個人としては凄い良い記事・魅力的な内容を書いていて、ネット上で称賛されているんですけれども、その人がどういうところで働いてるのか、まぁ当然本名等も分からないことが大半だったのですが、どんな人か全然分かんないんですね。
なんか、そこに凄いギャップを感じてました。もし、この素晴らしいブログ記事を書く人が仕事を請けてくれる、必要としてくれる人に情報を届けてくれるということが出来たら、それはそれでビジネスになるな...と思い始めていました。
もし会社に居る優秀な人達が、みんなよってたかってブログを書いてくれたら、これはものすごいことになる、人も集まるしお客様も集まる、みんな喜んでくれるんじゃないかなと。しかもそれぞれが匿名では無く、クラスメソッドって看板をぶら下げた状態で発信することで会社に対する期待や信頼感を醸成出来るのではないか、という風に考えたのはあります。
福田:
当時のメールを漁ってみましたが、開設当時から『クラスメソッド発信力凄い』というのはあったみたいですね。7月の開設時点で『みんなでブログを書いていこう!』というような働き掛けと、それに応える形でみんな自分なりのブログを書いていましたね。
ーー:
そのメールには投稿本数の記録も記載されていますが、この数字は当時の状況を見ても『めっちゃ多い』数ですね。
(※当時の本数を伺い知れるメールを一部抜粋。この頃から月100本ペースで投稿がされていたことが分かる)
横田:
苦労するほどでは無かったですねぇ。
福田:
そうですね、ブログ周りについては大変だったという記憶な無いですね。というか(ブログ開設当初の)飯田橋の記憶は、もうあんまり残っていないですね...(笑)
ーー:
ちなみにこの頃は個人ベースで『毎月1本書いていこう!』とか、ノルマでは無いにしても目標的なものはあったりしたんですか?
福田:
いや、この頃は全然そういうのは無かったですね。そういう部分で発破を掛けていた、掛け始めたのはもう少し後になってから、秋葉原(佐久間町)に移転後、AWSコンサルティング部が出来て活動が始まっていった2013年頃からだったと思います。
横田:
言ってたとしても、四半期報告会のタイミングで...くらいですね。
福田:
当時会社としても非常に関わりの大きかったFxUG(Flex User Group)のコミュニティ内で質問に返答していたメンバーがブログも率先して書いてたイメージでしたね。当時私もそうですし、横田さんもコミュニティで返答を良く返していました。他にはアットマークITの記事も寄稿して書いていましたが、それは依頼を受けてそういった記事を書いていた、という感じです。
DevelopersIOの前身ブログは当初ロール毎にブログが分かれていた
上記で言及しているように、クラスメソッドのブログとしては2011年に産声を挙げたわけなのですが、実は、この時開設されたブログの名前や状態は『DevelopersIO』ではありませんでした。
ではどういう状況だったか。こんな感じで『著者のロール・テーマ毎にブログ環境が分かれていた』状態だったのです。当時のブログ執筆展開に関する資料を関係者から入手することが出来ましたのでその情報を幾つか共有したいと思います。
資料の表紙。
ブログが分かれていたことを示す説明箇所。この時点で『クラスメソッドでは職種に関わらず全てのメンバーがブログを執筆するんだ』という意図というか方向性が打ち出されていることが分かります。画面デザインに関しても小さくて見づらくはありますが、ブログ毎に個別のデザイン・ヘッダーが適用されていたことが見て取れます。
横田:
分割してみよう、と思ったのはそれぞれ読者ターゲットも異なるだろうから、それぞれのターゲットに向けてURLもサブドメインも変えて情報を届けよう!と思いたったのが最初の動機でした。デザイナーなデザイナーのブログに、開発者は開発者のブログに書いて...という感じです。ただ、この形だと全ての(分割した)ブログで『クラスメソッドらしい、クラスメソッドならではの発信』が出来ていなかったことが分かり、『箱を作っても見られないものなんだな...』という気付きを得たのでそれを踏まえて箱も統一しよう、技術やテーマに関してもごちゃまぜで色々なものを発信していこう、という風になりました。
まぁこの辺は方針転換というか、色々お試しでやってみたという側面が強かったとは思います。反応を見て通常のプロセスで、市場の反応を見て改善改良していこうか...という活動の一貫でしたね。
福田:
私が書いたとされるDevelopersIOの最初の記事は、恐らくはこの分割ブログ時代のものだったかと思います。この時書いたブログを含めて、当時書かれていたブログがDevelopersIOという箱に移植された、この移植日がDevelopersIO開設日になった...という流れですかね。
ちなみにクラスメソッドのブログに関しては、開設時点で既に『社員のほぼ全てがブログアカウントを持っている、執筆出来る環境にある』状態でした。この部分については当エントリの『DevelopersIO開設前夜』の項でもその理由を横田が語っています。
福田:
このあたり、あんまり意識することが無かった気がしますね。最初からそうだった。
ーー:
得てしてこういう活動(会社でブログを書く)を始めるときって、書く人が決まっていて、レビューもきっちりやって...みたいなプロセスというか流れがあってのことだったのかな、と思うところもあるのですが...
横田:
『良い記事を書いてください』ってのがあっただけですね。チェックに関しては事細かに厳しくやるつもりは無くて、公開された後にみんなで見て、間違っているところなどがあればみんなで指摘していこう、くらいの感じで、みんな好き放題書いてました。
福田:
今だったら『こういうのを書いたらどうなの?』って指摘をする人もいたりするものですが、当時はそういうのは一切無く、メモ書きの延長線上くらいの気持ちで書いてました。
ーー:
なるほど。紆余曲折を経ていまのスタイルに落ち着いてきたのかなと思っていましたが、実際は開設当時からほぼ変わること無く現在まで執筆を取り巻く環境や雰囲気ってのは受け継がれて来ていたんですね。
ちなみにこの分割ブログ時代の環境が切り替わる=DevelopersIOというブログ環境で新たにデザインリニューアルがなされるのは2013年に入ってからとなります。その辺りのお話についてはシリーズの次のエントリ(#3)にて言及する予定です。
クラスメソッドのブログは開設当初からアウトプットの規模とペースがすごかった
上述インタビューでも『当時の苦労的なものは特に無かった』とありますが、その状況は投稿本数の状況でもわかります。下記は2011年と2012年の月別投稿本数を出したものですが、ここで既に『1年間で500本』規模のペースで全社員でのブログ投稿を展開していたのです。すげぇ。
その他歴史的なトピック
AWS re:Inventに横田が初参戦(2012年11月)
クラスメソッドとしてのブログ展開が始まって1年と少し経った頃、2012年に第1回開催となったAWSの年次カンファレンスイベント『AWS re:Invent』にクラスメソッドとして参戦をしていました。当時は横田1人のみの参戦でしたが、以降クラスメソッドとしては毎年AWS re:Inventに参加している形となります。記念すべきre:Inventの参加ブログが以下です。
アドベントカレンダー企画に挑戦(2012年12月)
また、2012年の12月にはクラスメソッドとしてアドベントカレンダー企画にも参加しています。
ブログに関する記録(2011年,2012年)
参考記録として、本数とSNSに関するブログの記録を載せておきます。当時のブログ展開を推進していく上で、代表の横田(akari7)が率先してブログを書いていたというのが数字の上でも見て取れます。『実際にやって見せていた』ことの説得力には確かなものがあったんだろうなぁ、というのが分かりますね。
本数(著者単位)
2011年
2012年
反響のあったエントリ(SNSランキング)
2011年
2012年
まとめ
という訳で、クラスメソッド20周年企画『クラスメソッドのブログの歴史を振り返る』第2弾『DevelopersIO開設を経て2012年まで』に関する内容のご紹介でした。
続いての第3弾は2013年からの歴史を振り返ります。