
「俺しかできない」は、渡しても終わらない──暗黙知の継承を7工程に分解してみた
「俺しかできない」は、ベテランの判断を抜き出して後任に渡しても、実はなくなりません。
同じものを渡しても、受け手の中で継がれ方が割れてしまうからです。
暗黙知の継承を工程に分解してみると、多くの取り組みが「抜く」「溜める」という渡す側の2工程で止まっていることが見えてきます。この記事では、受け手が受け取れる条件を整えるところから、継がせる・見える化する・測る・次のお手本を生む、までを一本の流れとして整理してみます。
正直に言うと、これを書いている私自身が、いま「俺しかできない」の真っ最中です。提案の最後の見極めになると、どうしても私が呼ばれる。話す内容は資料にまとめていますし、判断の筋も言葉にして渡しているつもりです。それでも、渡した相手の中で同じように動くとは限らないんですよね。
なので、この記事は誰かの現場の話ではなく、自分の足元で起きていることの分解でもあります。
先にお断りしておくと、これは「抱え込むベテランが悪い」という話ではありません。
「俺しかできない」は本人の性格ではなく、継承の工程が途中で切れていることから生まれる構造の問題です。
暗黙知の継承は、何工程でできているのか?
7つの工程に分けられます。渡す側が2つ、受ける側が4つ、そして次へつなぐ循環が1つです。

| 側 | 工程 | やること |
|---|---|---|
| 渡す側 | ① 抜く | 本人も言葉にしていない判断を引き出す |
| 渡す側 | ② 溜める | 古びない形で持ち続ける |
| 受ける側 | ③ 条件を整える | 受け手が受け取れる状態かを点検し、整える |
| 受ける側 | ④ 継がせる | 実際のケースで判断させ、お手本と照らし合わせる |
| 受ける側 | ⑤ 見える化する | 誰が、誰の判断を、どれだけ継いだかを1枚にする |
| 受ける側 | ⑥ 測る | 引用 → 実践 → 成果の順に読む |
| 循環 | ⑦ 次のお手本を生む | 成果の出た受け手が、次のお手本になる |
抜く(①)と溜める(②)は、以前の記事で書きました。書けない判断がなぜ文書からこぼれるのかはこちら、どう引き出すのかはこちらにまとめています。この記事の主役は、受け手側の4工程と、最後の循環です。
なぜ「抜いて渡す」で止まってしまうのか?
渡す側は道具で解けるのに対して、受け手側は条件によって割れるからです。
判断を引き出して残す作業は、LLMのおかげでずいぶん楽になりました。
ベテランの判断をいつでも参照できる状態までは、今の技術で十分に手が届きます。
ところが、参照できることと、受け手の中でその判断が動くことは、別の話なんですよね。
以前、ある社内研修で、同じ時間・同じ部署・同じ内容の講義を受けたのに、受講者の参加度合いがはっきり割れたことがありました。条件をそろえても割れるなら、変数は受け手の側にある、ということになります。
じゃあ、その変数は本人の資質なのか。
私は、資質ではなく「受け手が置かれた条件」として見るほうが実務的だと考えています。資質は会社には変えられませんが、条件なら整えられるからです。
条件を整える(③)──受け取れない原因は、どこにあるのか?
6つに分けて点検できます。いちばん上の「余力」は前提で、ここが崩れていると、下の5つはどれも効きません。
| 受け取れない要因 | 現場で見えるサイン | 会社が整える条件 |
|---|---|---|
| 前提:余力がない | 研修に出ても入らない。何を渡しても残らない | 業務量の調整が先。ここが崩れていれば、下の5つは効かない |
| 目標・目的が設定されていない | 「どこまでできればいいのか」が誰にも分からない。継ぐこと自体がゴールになっている | いつまでに、どの判断を、どこまでできればよいかを決めて、本人と共有する |
| 見通しがない | 「で、次に何をすれば?」が繰り返される | 継いだ判断を使う場面を、直近の業務に用意する |
| 意味がない | 「自分の仕事に関係ある?」という反応 | 継ぐことが報われ、経営の言葉として語られている |
| 裁量がない | 学んでも試さない。「どうせ承認で止まる」 | 試してよい範囲を先に明示する |
| 反応がない | 試しても誰も見ていない。失敗だけ指摘される | フィードバックする人を指名する |
どの行も、受け手本人のやる気や能力の話としては書いていません。これは「継げない人」を責める表ではなく、自社のどこで詰まっているかを探すための点検表です。
ちなみに、AIが担えるのはこの表の一部だけです。判断の「なぜ」を背景ごと渡したり、試す前の壁打ち相手になったりはできます。でも、余力をつくることも、目標を置くことも、評価の仕組みを変えることも、フィードバックする人を置くことも、会社と人の仕事です。
継がせる(④)──判断は、どうテストすればいいのか?
知識を問うのではなく、判断を問います。
手順を覚えているかどうかは、既存の研修やテストで確かめられます。継承で確かめたいのは、「この局面で、あの人ならどう決めるか」を受け手が再現できるかどうかです。
そこで、実際にあったケースを渡して、受け手に判断とその理由を書いてもらいます。そのうえで、お手本である"あの人"の判断と照らし合わせて、どこがなぜズレたのかを受け手自身に説明してもらいます。
最後の「ズレを自分で説明する」ところが肝です。お手本に近いかどうかだけで採点すると、測れるのは守破離の「守」までになってしまいます。型をなぞる人ほど高く評価されて、良い逸脱が減点される。ズレを自覚して説明できることは、「破」や「離」につながる力だと私は考えています。
見える化する(⑤)──誰が、誰の判断を、どれだけ継いだのか?
"あの人"×後任の表にすると見えてきます。

| あの人A(提案) | あの人B(トラブル対応) | あの人C(現場指導) | |
|---|---|---|---|
| 後任1 | ◎ | ○ | △ |
| 後任2 | △ | ◎ | ○ |
| 後任3 | ○ | △ | ◎ |
※ 概念図です。記号は継承の度合いのイメージを表しています
表を横に読むと、1人の後任が、複数の"あの人"の判断をどう配合しているかが分かります。縦に読むと、1人の"あの人"の判断が、何人に継がれているかが分かります。
縦の読み方は、ベテラン側にとっても意味があります。「自分の判断が何人に使われているか」が見えると、判断を出すこと自体の動機になるんですよね。継承を「奪われる」ではなく「広がる」と感じてもらえるかどうかは、この見せ方で変わります。
測る(⑥)──何をもって「継げた」とするのか?
引用 → 実践 → 成果の順番で読みます。どれか1つだけを見ないのがポイントです。

- 引用:あの人の言葉が、受け手の会話に出ている
- 実践:同じ局面で、あの人と同じ判断をしている
- 成果:職種ごとの指標(時間・率・処理量)が動いている
会議や商談の記録があれば、あの人の言葉がどれだけ出ているかは、原理的には数えられます。ただ、引用だけを物差しにすると、言葉を真似るだけで点が上がってしまう。なので、本命は実践、つまり判断が一致しているかどうかで、さらにそれを成果と突き合わせて読みます。
この順番で読むと、次の2つのサインを拾えます。
- 引用が増えても成果が動かない → 言葉だけが継がれている
- 実践しているのに成果が動かない → お手本の判断そのものが古くなっている
2つ目は見落とされがちですが、大事なところです。継承の測定は、受け手を評価するためだけの道具ではありません。お手本の側を更新すべきタイミングも教えてくれます。
次のお手本を生む(⑦)──百点でなくても、お手本になれるのか?
なれます。というより、次のお手本はそうやって生まれます。

見える化の表で見たとおり、受け手は1人の"あの人"を丸ごとコピーするわけではありません。Aの判断を多めに、Cの判断を少し混ぜる、といった配合で、それぞれ自分の型をつくっていきます。その配合で成果を出した受け手がいたら、その人自身を次のお手本として残せばいいんです。天井は固定されたものではなく、超えた人、あるいはうまく配合した人が、次の天井になります。
ただし、条件がひとつあります。次のお手本にするのは、成果との突き合わせで確かめた配合だけにすることです。引用は多いのに成果が出ていない型を昇格させると、「言葉だけの継承」が再生産されてしまいます。測ることと次のお手本を生むことは、セットで設計する必要があります。
結局、会社は何から手をつければいいのか?
受け取れる条件を整えるところから始めます。
抜いて溜める部分は、道具を入れれば進みます。でも、受け手の条件が崩れていたら、どれだけいいものを溜めても受け手の中では動きません。まず、辞めたら困る人が誰なのかを特定する。次に、その人の判断を受け取る側の条件を、上の点検表で確かめる。そこで詰まりが見えたら、道具より先に条件を直す。この順番です。
もうひとつは時間の問題です。受け手側の工程は、抜いて溜めるのと違って一度では終わりません。継がせて、見える化して、測って、直す。この往復には月単位の時間がかかります。ベテランの退職が見えてから始めたのでは、間に合わないことが多いんです。
よくある疑問(FAQ)
Q. 仕組みを入れれば、後任は全員ベテランの水準まで育ちますか?
A. 育ちません。受け取り方は条件によって割れます。だから割れ方を測り、条件を整えます。百点でなくても、複数の判断を配合して成果を出した人が次のお手本になる、という考え方で進めます。
Q. 継承の度合いを測るのは、後任の人事評価のためですか?
A. 育成のために測るもので、個人の評価や配置に直結させない設計が前提です。受け手が「測られること」を警戒した時点で、受け取れる条件(裁量や反応)が崩れてしまうからです。
Q. ghoostとは?
A. ベテランや"あの人"の、言語化されていない判断を、本人と一緒に引き出して組織に残す、本人の判断を再現するAIエージェントサービス。この記事の工程でいうと、抜く・溜めるを担い、継がせる・見える化する・測るの場面で「あの人ならどう判断するか」をいつでも参照できる状態をつくる側にいます。受け取れる条件を整えることと、受け手を評価することは、会社と人の仕事として残ります。
Q. 身体の感覚で判断する職種でも同じですか?
A. 受け手側の考え方は共通です。ただし、抜き方が変わります。感覚の部分はセンサーやログで取る必要があり、これについては以前の記事で整理しました。
まとめ
- 暗黙知の継承は、渡す側2・受ける側4・循環1の7工程でできている。多くの取り組みは、渡す側の2工程で止まっている
- 同じものを渡しても、受け取り方は割れる。原因は資質ではなく条件として見て、点検表で詰まりを探す
- 継承は「引用 → 実践 → 成果」の順に測る。成果で確かめた配合を持つ受け手が、次のお手本になる
10月16日(金)14:00から、ghoostウェビナーの後編「ベテランが辞めるまで、あと何ヶ月? ― 判断の継承には最低3ヶ月かかる」を開催します。この記事で書いた受け手側の工程、とくに「継げたかを測る」ところを、ライブで実演する予定です。
https://classmethod.jp/seminar/261016-aixc-webinar/
「あの人の判断を組織に残したい」という課題があれば、ghoost サービスページものぞいてみてください。
参考(背景)
- M. Polanyi『暗黙知の次元』(The Tacit Dimension, 1966)
- 野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』(1996) ※SECIモデルの「内面化」
- A. Collins, J. S. Brown & S. E. Newman "Cognitive Apprenticeship"(1989) ※認知的徒弟制
- D. L. Kirkpatrick の研修評価4段階(反応・学習・行動・成果) ※測る順番の背景
- E. A. Locke & G. P. Latham 目標設定理論 ※「目標・目的が設定されていない」の背景
- E. L. Deci & R. M. Ryan 自己決定理論 ※「意味・裁量・反応」の背景
- M. E. P. Seligman 学習性無力感 ※「裁量がない」の背景










